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「私」「戦争」~個人の記憶

個人の経験に根ざした、いまへと繋がる消えない、癒えない記憶を手触り感のあるものとして記録する。

 

  • 2024年3月11日

「捕虜収容所・民間人抑留所事典—日本国内編―」を刊行

戦争の新事実 強制収容された人々の息遣いが聴こえる 戦後79年。自分たちの足元で起きた戦争犯罪を記録しておかなければ、無いものとして歴史から消えてしまう。太平洋戦争時の外国人捕虜の実態を調べている市民団体「POW(Prisoner of War=戦争捕虜)研究会」(会員数80名)が、20年以上にわた […]

  • 2022年11月12日

第26回英連邦戦没捕虜追悼礼拝開催:祈りは続く(日本・英連邦)

2020年8月1日(土)、第26回目の「英連邦戦没捕虜追悼礼拝」が、保土ヶ谷区の英連邦戦死者墓地で行われました。長梅雨がやっと明け、夏の日差しが戻った当日でした。毎年8月の第一土曜日という暑い盛りに開催されるのも、炎暑の中、過酷な強制重労働、栄養失調などで、生命を奪われた多くの捕虜の一人ひとりの声を聞くためという創設当初の志を継承しています…発起人のお一人雨宮剛先生(85歳)が、今年はお元気で出席され、亡くなられた発起人のお二人斎藤和明先生、永瀬隆さんを偲び、原点を今一度思い起こすよすがとして、永瀬隆さんの「泰緬鉄道の悲劇と真実」という岡山の高校生たちへの講演記録を配布…

  • 2022年11月12日

「戦中、私は『軍国少年』でした。戦後は、朝鮮半島との和解を求めて…」~牧師・関田寛雄さんの語り / ムービー(日本 / 朝鮮半島)

関田寛雄さんはいま、日本基督教団の牧師ですが、戦中は牧師の父親のもとに生まれたため、まわりに差別され、悲しい思いをし、その境遇を恨めしく思っていた、といいます。そうであったからこそ、関田さんは、「より日本人」になろう、と思ったそうです。誰もよりも率先して「軍国少年」になりきろうとした…

  • 2022年6月16日

75周年「マニラ戦」犠牲者慰霊祭2020年2月15日/ムービー(フィリピン)

2020年は戦後75周年ということで節目の年でもあり、セレモニーを執り行うフィリピン国軍の軍人の数も多く、通常よりも規模は大きく盛大な式典でした…011年より公式に慰霊祭に招待されているBFPからは代表の神直子さんがスピーチを行いました。学生時代にスタディーツアーで訪れたフィリピンで、ある女性から強い憎しみと怒りをもって「日本人とは会いたくなかった。なぜ、あなたはフィリピンに来たのか」と問い詰められたのがBFPの活動の原点だと、神さんは言います。その女性は戦時中、フィリピンを占領していた日本兵によって夫が連行され、その後、二度と戻ってくることはなかったというのです…

  • 2022年6月8日

74周年「マニラ戦」犠牲者慰霊祭2019年2月16日/ムービー(フィリピン)

2018年からNPO法人「ブリッジ・フォー・ピース」(以下、BFP)とともに参加し、撮影・記録している「メモラーレ・マニラ・1945」主催の「マニラ戦」犠牲者・慰霊祭。74周年目を迎えた2019年、式典には「BFP」とは深い関わりを持つ中野聡 教授(一橋大学/社会学研究科 教授・社会学部 教授・一橋大学 学長)が代表として参列し、スピーチを行いました…式典の全体の様子、行われたすべてのスピーチを無料配信…