本作を鑑賞していただいた方々の感想

「二つの国策差別に翻弄された父母への想い 奥間政則~ハンセン病差別・琉球弧の軍事化拡大~」

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DVD繰り返し鑑賞しています。
今年1月から高麗博物館の「ハンセン病と朝鮮人研究会」に参加し、全国の療養所を訪ねた成果を研究発表しています。

1月に訪ねた奄美和光園の発表資料を作っているときに、DVDでも勉強しました。和光園や南静園の入所者、職員が出てくるのが貴重ですね。
 
奥間さんのお父様に辞書を買わされたことを、懐かしそうに話す入所者の顔が思い浮かびます。
しかもまだ大切に持っているとか。
強烈なエピソードですね。

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ハンセン病元患者の家族としての奥間さんの「父との関係の再構築」の過程が丁寧に描かれていました。「家族被害」と一言で言っても、共通するものもあれば、当たり前ですが、ひとり一人異なるのですね。

奥間正則さんが50歳の時に「父ちゃん」と初めて出会えて知った父の実像。

その後、奥間さんが「ハンセン病患者の人権剥奪」と「沖縄に押し付ける政府の軍事政策」(実は、琉球併合から続く日本の植民地主義)という二つの国策に抗う姿。

「父ちゃん」を知ることによって、奥間さん自身が自分を形成していく過程を見せていただきました。ハンセン病を患った父母をもつ奥間正則さんが自分の生きたかをつくりあげていく姿は清々しいものがありました。
おそらく、奥間さん自身が「ハンセン病家族」としての差別や偏見を感じることなく子ども時代を送られたことが、
彼の柔軟な心根を形成したのだろうと思います。

「父ちゃん、母ちゃんが守っていてくれたんだ」。本当にそうですね。以前に聞いた「ハンセン病家族訴訟」の方々のお話とは趣が異なるものでした。

視聴する前は、辺野古や宮古、石垣、与那国での基地周辺のドローン撮影映像を期待していたのですが、それはありませんでした。

期待は外れましたが、良かったです。

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奥間さんは、私が10歳の頃にお生まれになった。ご両親は、私よりも10年くらい年上の年代の方。私の生きた時代に、まさに国が国策として強制的に、隔離、不妊手術、堕胎手術を医師や看護婦の協力のもとに行っていた。思い出せば、25年ほど以前、強制的に堕胎させられた人たちが国を訴えた裁判に勝訴し、国は敗訴して、その後、国は謝罪した事件があった。強烈な差別が昔の話ではなかったと知って、その時も愕然とした。

人間は弱い。医師や看護師も「そういう時代だった」と言う。私自身も感染病だと聞いた時には「怖い病気」と思った。でも、私たちに「怖い」と思わせたのは、それこそまさに「国策」だった。戦前の映像と思うが、保健所の職員が仰々しく防護服を着て患者の出た家を消毒して回った映像を見たことがある。少しでも関わったら、自分も差別される対象になる恐怖。国民に怖いと思わせ、国の政策に従わせる。国は、国民を怖がらせる。「守ってほしい」と、国民が国に頼る気持ちになるから。

映画の中で出てくる人たちは、そのような時代にあって、とても勇気あった人たちだった。国策に従わず、子供を出産した父や母、出産を援助した人々、自分の子供を入所者の人に預けて一緒に育てた人たち。科学的知識で感染力が弱いことを確信し、差別的取り扱いは道理のない差別だと認識して、国策に従わずに人間としての生き方を選んで生きた人たち。

my body my choice 私の体は私のもの。私の人生は私が決める。
なんて革命的な言葉だろう。

世間の目を気にして自分の心を犠牲にする人々も多い。あなたの体はあなたのもの。あなたが決めていい。そのような寛容な優しい社会を作りたい。そこでは、人間たちは、国家の支配から少しだけ、自由になるかもしれないと、そんなことを考えた。

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2年前、ウイルあいち小会議室で直接、奥間さんから話を聞く機会があった。テーマは「基地問題とハンセン病二つの国策から」。


私は自己紹介で奄美出身者であること、中東から沖縄の石油備蓄基地へ原油を運ぶ船員だったこと、奥間さんとは思いがけないご縁があると述べた記憶がある。今回のDVDで見た奥間さんが訴えたのは、元ハンセン病患者である父親や社会から受けた酷い仕打ちではなかった。朝鮮戦争の勃発により米軍は「銃剣とブルドーザー」で沖縄の住民を追い出し基地を作った。だが、最早、沖縄の人々は「むぬくいしどわーうしゅう(物を与える人こそ自分の主人の意味)」ではない。


奥間さんの「県民集会」の発言は、理路整然と力強くし堂々としていた。特にDVDの末尾、宮古島駐屯基地で訴えた発言は兵士たちの心に響いたに違いない。

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ご家族とも距離を置かれていた、ということに、まず心が痛みました。
みっちゃんとの対話の中で、みっちゃんが学校でいじめられても親に心配をかけないように
家では何事もなかったようにふるまっていたというのは、聞いているだけでも本当に切ない気持ちになりました。

でもお父さんの想いを書き留める中で、様々なことに気づき、「人は変われる」と
今では、基地の問題、ハンセン病のこと、沖縄のこと、実名でご家族のことなども
オープンにお話されていることに感銘を受けました。

他の施設では、国策には逆らえない、と堕胎を進めていた中で、
神様との約束、男女が出会って子どもを授かるのは自然の道理、と
出産を促した、という神父さん、そしてシスターさん達の様子にはとても温かいものを
感じたし、奥間さんも再会をとても喜ばれていて、こちらまで嬉しくなりました。

最後、奥間さんが沖縄の言葉で、基地の中にいる、本土から来た隊員に向かって
声を上げてみえる場面は、とても悲痛な叫びであるとともに、自分も本土に住む人間として、
まずは知り、自分に出来ることを少しずつでもしていけたら、と思いました。

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1:奥間さんのお父さんの手記の量にまず感銘。豊かな思想、心情、思いがあった。国策では劣っているとされた人にも豊かな思想がある。見た目や偏見に惑わされてはいけない。

2:ハンセン病について、自分が知らないことが多すぎると痛感。病気について、隔離や断種などについて、差別について。

3:辺野古基地建設のために、「遺骨が出ないところがない」ような土地の土を使い、また戦争準備の場所にしようとしている。

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当時のハンセン病の方々は今ほど情報がない中、病気で辛い中 特に親族、近所の人々から差別を受けて、哀しくてたまらなかったと思います。
 当時の日本はドイツと同盟関係にあって、ドイツが優生思想をかなり強く推し進めていたためという影響もかなりあったのではないでしょうか。
ハンセン病の方はそんな日本の国策の犠牲にされてしまった気がしました。

仲間と一緒の時は穏やかだったお父さんが、自分の妻と子どもに暴力を振るい続けてしまったのは大変悲しいです。
しかし、弱い立場の人に暴力を振るうのは絶対に許せないことです。
 
一方で親から暴力を受けながら育った奥間さんが、ご自身は人に暴力を振るう人にならなかったのは、優しいお母さんと、小さい頃懐の深いシスターの方々に見守ってもらったからなのかなと思いました。
何十年経っても奥間さんと妹さんのことをよく覚えていたシスターの方々の愛情が素晴らしかったです。

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今回ドキュメンタリーDVDを観て、ハンセン病の患者に対し国策として隔離政策が行われたこと、それにより家族崩壊、地域社会からの不条理な偏見と差別を受け、苦しみの中を生きてこられた人々を知り、改めて人間という生き物の弱さ、強さを思い胸が痛くなりました。
国策という大きな力により、私などいとも簡単に絡め捕られてしまい、知らず知らずのうちに偏見を持つ側に立ってしまうような気がします。真実を知り学ぶことが自分の心を正すことだと改めて思います。

奥間さんは子供の頃に父親の荒れる姿に反発を覚えながらも、自分自身が人生を重ねるにつれ、父親の人生をもっと深く知らなければと思ったことでしょう。父親の手記を手にして突き刺さるような苦悩を知り、手記と記憶に導かれるように人々を尋ねて、若き日の父親のことを知り、また園を訪ねて幼い頃の自身の姿を想い描いたり、そして父親の真の苦しみがどこからきたのかを理解し、これから自分自身がどのように生き,行動するかを決めたのだと感じました。

お父様はずっと封印してきた辛い苦しみを、本当は愛する息子に伝えたかったと思いますが、家族ゆえに言えない、いいようもなく荒れてしまうことなど、手記を書いているその後ろ姿が慟哭しているであろうと想像でき涙が出ます。

柵に立つ奥間さんの姿。国防のためとして造られた軍事基地に立ち、網が張られた向こう側に立つ若い隊員に、沖縄の言葉を交え、怒鳴ること無く毅然とした態度で基地の意味を問いかける奥間さんの姿が心を強く打ちます。あの若い隊員にはどのように響いているのでしょうか。

世界で紛争がつづき、日米の軍事同盟をさらに強化すると報道される中、沖縄を通して私たちの中の私はどのように考え行動したら良いのか、今回のDVDにある真実を共に学び、人間への信頼を求めたいと思います。

上記とは違いますが、毎年 5月3日の市公会堂での憲法集会に行っていましたが、がんになってからは行けていません。昔、その集会で沖縄県知事、太田昌秀さんの講演を聞きました。難しかったですが、沖縄返還の矛盾、問題を知りショックを受けたことを思い出します。また、私が高校生の時の担任の先生は、与論島出身の方で沖縄返還について熱心に話してくれました。余りにも幼くてその意味も充分理解せず、今となっては申し訳なく思っています。先生がご存命ならば今どんな思いでいらっしゃるかと気になります。

私が若い頃、病院へ友人のお見舞いに行った時、たまたまある病室のドアが開き、ベッドに腰掛けている患者さんが目に飛び込んできました。全く瞬間的であったのに、その崩れた顔は今でも忘れる事ができません。ハンセン病患者さんであったとのことでした。これが偏見に繋がるのでしょう……。

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私は話が下手で、内容が飛ばないようにテーマごとに分けました。読みにくくてすみません。

①最初のシーンで、柵の向こう側にいる自衛隊員に、奥間さんが沖縄言葉で話しかけてみえて、沖縄を愛するのであれば、このような基地やミサイルを置いてはいけないよ、沖縄を戦場にしてはいけないと諭している場面。
奥間さんは、「岸田前総理が平和の礎に来た時に、戦争反対の言葉を叫んだのは自分だよ」と話す。
自衛隊という団体に話すのではなくて、目の前にいる若者を息子を諭すように語り掛けていた。

②40歳過ぎるまで、基地反対運動なんて他人事だと思っていたという奥間さんの言葉について
人間は変化できない、40過ぎれば建設会社で働いていた建築士が、まさか基地反対活動をする訳が無いと普通は思うかもしれないけれど、奥間さんは40歳過ぎてから基地反対の活動をするようになった。人間は、何歳からでも変化できるんだと思った。

③奥間さんの父親の莫大な量の手記を、父親に依頼されて清書する事になった話。
大量の文書を読まずに廃棄してしまった後悔。

奥間さんの父親は19歳の時にハンセン病になってしまった。
手の指が変形していて変だなと思って病院で診察を受けたらハンセン病と診断されました。家族は泣きながら手をさすっていたそうです。奥間さんの父親の手記の字が、読みにくいのはハンセン病で指が変形していたからだと思われる。奥間さんにとっての父親は、酒を飲んだ後には家族に暴力をふるって母親と一緒に泣きながら父親を縛った事もあり、奥間さんは、暴力をふるう父親が大嫌いで、手記の清書も事務的に書き写していただけだった。
読みにくい箇所があった時には、文字を父親に確認する程度で、内容を深く聞いたりしなかった。
そして、残された大量の手記を捨ててしまった。
後になり、父親がハンセン病だった事を知って、手記に書かれてある内容が過去の生きた証であり、深い洞察力の有る貴重な資料であり、息子に託した遺言のような内容だった事を知り、大量の手記を捨ててしまった事を後悔。

④ 父親と母親の出会いは、「奄美和光園」だった。
 http://takaamami2.web.fc2.com/review/children2.html
 
和光園の神父さんが、ハンセン病でも子どもを授かったら赤ちゃんを産むべきだと、当時の国策とは真逆の立場の人だった。当時の日本の国策では、ハンセン病の人は子どもを産んではいけないから堕胎手術を受けさせられたり中絶の注射を打たれていた。「名護愛楽園」は、妊娠した妊婦さんは堕胎させられていた。2015年に当時の国策について政府が謝罪した。当時はハンセン病に対する差別が酷く、家族や親族にハンセン病の人がいたら噂になるから、親戚にも存在を知らせない事もあった。そして親族のお墓にも入れてもらえない。奥間さんの父親もお墓に入れてもらえない。

⑤ お父さんの生きてきた過去の場所を訪ねて、当時を知る人達から話を聴く旅。
19歳でハンセン病と言われた父親が、人を好きになったり人生に夢や希望を抱く青春の時期に、どんな人生を歩んできたのかを和光園で父親を知っているシスター達から、話を聴いた。

奥間さんの母親が、とても親切で、和光園の事務長である松原若安さんの息子さんが幼い頃は、松原さんが和光園に着くと息子である自分を、奥間さんの母親達の輪の中にポイっと置いてお世話してもらうのが日課だった。ハンセン病は感染力が弱いから、一緒に過ごしても大丈夫なんだよと松原若安さんは言っていた。だから若安さんの息子さんは奥間さんの母親に、とても親切にお世話してもらって嬉しかったという話をしてくれた。
奥間さんは、自分の母親についての話が聴けて、和光園に来て良かったと思ったそうです。

⑥ ハンセン病の施設でも子どもの出産を祝ってくれる施設と、国策により中絶させる注射を打つ施設があった事について沖縄愛楽園(名護市)で働いていた看護師さんと、バスを待っていた時に奥間さんは偶然出会った。
なぜ愛楽園では、堕胎を勧めたのですか?と聞いたら「あの頃は、それが国策だったから仕方が無かったのです」との返事だった。

人の命が、国策によって生きる権利を簡単に奪われていた。自分の子どもを産みたいハンセン病の方にとって辛い国策だった。

⑦ 愛楽園で、証言集を読んだ時に父親の本心が書かれていた。
そこにタクシー運転手をしていた奥間さんの父親が「辛い事があっても子どものためだと思えば頑張れる」と書いてあった。奥間さんは、酒を飲んで暴力をふるう父親に隠されていたハンセン病の真実を知らなかったけれど、ハンセン病というだけで、差別やいじめを受けていた苦しみが酒を飲まずにはストレスが解消できない家族に暴力をふるう事でしか辛さを解消できなかった父親の真実を知った今では、何で父親の手記の清書をする時に、「この時はどんな風に思っていたの?」とか質問をしたり、内容を掘り下げたり深く聴いてあげられなかったのかと、後悔。

⑧ 最初と同じ場面に戻り、自衛隊の隊員に向かってPAC3のミサイルが移動できるという事は、基地だけでなく移動できる範囲すべてが攻撃目標になるんだ、戦争を繰り返してはいけないと厳しい口調で諭している姿。

奥間さんの父親は、奥間さんを一切誉めず、厳しい言葉がけしかしてくれなかった。

そのお父さんの厳しい言葉は、実は奥間さんに対して「自分のような壮絶な辛さ」に見舞われても立ち向かえる強い子になってほしいと願っていたと思うと、奥間さんが自衛隊に対して厳しい言葉で諭す姿は、父親の遺志が受け継がれているようにも見えました。

長文になり、すみません。本当に有難うございました。 

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DVD見た。amusingではないが、interesting.

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奥間さんのように国の強制断種政策の中でハンセン病患者の子として生まれてきた人たちがいることはあまり知られていないと思うので、ぜひ広く公開されてほしいと思うとともに、おそらく私の祖母と同世代であろうお母様のお気持ちも想像できるので複雑です。

奥間さんの基地反対活動の原動力の背景に、一見別の人権課題であるハンセン病の問題の当事者であったという気づきがあったこと、親族からは理解を得られなくてもシスターや同じ患者家族など多くの人に支えられて繋がりの中で生まれてきて、生きていらっしゃることに感動と共感を覚えました。

LGBTQたちもいわゆる法的な家族以外の、パートナーに限らないchosen familyと支えながら生きている人たちが沢山いますので、近しい状況なのかなと思いました。

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奥間さん、家庭のことがあっても、ぐれずに育って、活動されてるのが、胸にきました。悲しい事実をまた学びました、稲塚さんのうなづく声が懐かしく感じました。それと、ガビンチョウの声も力強く聞こえました…。

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DVDの内容、凄く勉強になりました。防空壕がまさかハンセン病療養所の入所者たちによっても作られていたとは。過酷な作業のせいで指や足も切り落とさないといけなくなってしまった事実に衝撃を受けました。

奥間さんの力強いメッセージ(社会に対する怒り)がしっかり込められているDVDだと思いました。多くの人に観ていただきたいですね!

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「小さな上映会」で映画を拝見して…

ハンセン病政策&沖縄を犠牲にする国防政策という2つの国策の今も続く過ちに犠牲になった人々の苦しみを知りました。水俣病等公害病問題の国の責任、誤った優生思想の問題、沖縄の人々に犠牲を強いて来た歴史は少しは知っていましたが、これ程人々を苦しめ人生を破壊していたのかを映画を通して理解する事が出来ました。

奥間さんの「お父ちゃんは…お母ちゃんは…」と語る姿を通して、彼自身の苦しみ、手記でしか伝えられなっかった父親の苦しみ、未だに一言も伝える事も出来ない母親の苦しみ…。多くの人の人生を、一生を、命を奪って来た国策。それは、政治が差別が偏見が無知が生み出したモノだとも思います。

2024年10月8日、参議院・内閣委員会で「旧優生保護法被害者補償法」が全会一致で可決された事を嬉しく思いますが、これを持って被害を受けた方々救済された訳では無いと思います。まして、戦前・戦中、復帰後そして今も続く沖縄を犠牲にし続ける安全保障政策の誤った国策には怒りを感じます。

療養所の神父が「どんな命も奪って良い命は無い」と妊婦を守り、「日本を野蛮な国」と言いましたが、今も「野蛮な国」である事を恥じて、弱い人達・声を挙げる事が出来ない人達と共にありたいと思います。

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この度は、ご縁があり、奥間政則さんのドキュメンタリー映画を上映させていただくことになり、うれしく思っています。昨日、上映会仲間4人で試写しました。

奥間さんの真摯さ、純粋さ、その背後ある理不尽な現実が、美しい海と空とともに余すことなく伝わって来ました。もう両手を数える以上に奥間さんのお話を聴き、ご自宅までお訪ねしているのですが、この映画でそれ以上に深く奥間さんという方をしることができ感謝しています。

奥間さんからも映画の撮影のことなど聞いていましたが、昨日完成作品を拝見して、一体どんな方が作られたのだろう?と不思議でした。見逃した「隣る人」につながりました。

今日、一年ぶりにひょっこり訪ねてくださった中村泰子さんに、ふとつぶやいたのでした。稲塚さんが「We」の連載者で繋がっていたとは驚きました。

「隣る人」ぜひ自主上映したいです。 

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キッチンハリーナでは何度か奥間さんのお話を聞く会を持っています。
去年の9月に数名で沖縄をおとづれた時は、奥間さんに愛楽園に案内され,辻さんのお話も聞くことができました。映画の中で,自分たちが実際に出向いた場所、奥間さんからお聞きしていた話を改めて聴くことで、より奥間さんの行動と思いに近づけた気がします。

奥間さんを実際知っているからかもしれませんが、とても丁寧によく編集された作品だと感じました。

シスターとの再会、みっちゃんとの会話は特に強く印象に残りました。

一度に終わらせず上映会を企画していきたいと話し合っています。
多くの人に見てもらいたいです。 

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DVDみました。

奥間さんが自身のことを語りながら、「父ちゃん」の生の軌跡を求めて、自ら各所をたずねて聴き手にもなる、重層的な構成がユニークでもあります。

各所療養所での「父ちゃん」を知る人、シスターなどとのはなし、それぞれのことばは短くても、とても貴重な一言ひとことでした。

「みっちゃん」との会話のところ、それぞれの思い、感じ方がよくあらわれていて、とてもいいですね。

それにしても、「父ちゃん」が「書くひと」だったこと、これが大きいですね。500枚を「焼却してしまった」ことを悔やんでおられましたが、それほどに「書いた」ことそのものがまさにその方の生きざまの重さを感じさせます。

あえて語らない90歳のお母さん、離れてくらす妹さんのことなど、さりげなく語られているのもいいです。
辻学芸員さんのはなしで、証言しても記録に残すことをよしとするひと、証言しても記録に残すことは拒否するひとがあることなども知りました。

おそらく数年間の時間をかけて作られたものでしょう。制作者の企画と同行があって、奥間さん自身がいろいろな発見もされた、とても貴重な作品だと思います。

有難うございます。

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ご本人やご家族が語りたくても語れない辛い話しを相手を傷つけないように記録した貴重なDVDだと思います。

奥間さんご自身がご両親から聞けなかった話しを謎解きされる構成に引き込まれました。

またその辿った道を丁寧に訪問取材しているのにも頭が下がりました。沖縄の方だから語ってくれたのかも知れませんが、取材力の賜物でもあります。大変勉強になりました。 

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少しは奥間さんの事を知っている私と、初めて知る人とでは、感じ方、受け取り方が違うと思うけど、初めての方はどう思うでしょうか。

カカオフレンドツアーで、愛楽園を尋ねて見聞きしたこと、人としての扱いを受けなかった事…思い出しました。伝えきれないこといっぱいありますね。

国策ーいっぱいあったし、今もあるけどあまりふだん気がついてない。
我が身に降りかからないとわからない。

私が今いる野入から1時間くらいの長野県阿智村に満蒙開拓団の資料館がある。貧しい村の人々が3回国に騙されたと知りました。

国策について彼は、ハンセン病・沖縄基地問題と2つの国策について身を持って話すことができる。沖縄の運動など興味も持たなかった彼が、変わった事に希望があり、人には気づく特別な機会があるともいってみえました。建築技師として生きてきた専門分野で闘えると。

父ちゃん母ちゃんと呼びかける奥間さんにハンセン病の国策に翻弄された多くの人々のこわされた家庭や家族の無念さを思う。

会話の字幕がありとても嬉しい。難聴の私は、会話はなかなか聞きとれない。大感謝です。

ありがとうございました。

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昨夜、DVDみました。すごいね、奥間さんの真っ直ぐさ!直球で生きる潔さ、その生き様に寄り添うカメラ。

問われる私!!

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ビデオ拝見しました。二重の国策差別。

もう20年も60年も前になりますが、沖縄には何度も行っていて、あの戦争へ沖縄の人たちの思い、日本という国、本土の人間への怒り、恨みを聞いていたこと、ハンセン氏病では実に理不尽な隔離、断種等の差別も目の当たりにしていたので、ある意味、30年を経て、二つの差別の現状、変わらないこと、変わったことも感じさせていただきました。

ゆっくり話したいです。

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世界をShareしてもらえる貴重な機会。
ありがとうございました!

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奥間さんのDVD早速拝見いたしました。

人に歴史あり、その背後に国家による統制や歪んだ国策ありという構図が鮮やかに見えました。奥間さんを写す人がいたからこそ、奥間さんは語り自己のルーツを移動し、人となりと構図を伝えることが出来る。

映像の使い方の初歩であり基本でありそして実は一番大切だと改めて思いました。テキストも読みます。有難うございました。

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奥間さんは声も顔も話し方も本当に人を惹きつける魅了ある人であることを引き出しているのが素晴らしいです。

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