言葉、音声、画像、動画等を駆使し、個人に光を当て、個を大切にした記録活動。表現行為を通して、時空をまたぎ、人とつながり、人と人とをつなげていくことを探求しています。
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「マニラ戦」

太平洋戦争末期、マニラ奪還のため侵攻してきた米軍に対して、当時フィリピンを占領していた旧日本軍の一部(「マニラ海軍防衛隊」)は、マニラ市内のパッシグ川南側に残り徹底抗戦をしました。その結果、旧日本軍の部隊は全滅。「東洋の真珠」とも称された美しい街並みのマニラは戦闘と砲爆撃で壊滅し、逃げ遅れて命を落としたマニラ市民の数は10万人以上に上ります。

  • 2022年3月26日

『マニラ戦』:「母、祖母、おじたちが、どこで、どのように殺されたのか…いまだに不明なままです」~ローデリック・ホールさんの語り / ムービー(フィリピン)

…米軍のマニラ侵攻が押し迫ってきた1945年1月20日、突然、銃剣を携えてやってきた日本兵がローデリック・ホールさんの自宅の家宅捜索を執拗に行い、ホールさんのおじが隠し持っていた短波ラジオを発見したのです。スパイの容疑がかけられ、ローデリック・ホールさん、すぐ下の弟、母親、祖母、おじ、家政婦等全員が日本軍の憲兵隊が接収していたフリーメーソン寺院に連行されました…ローデリック・ホールさんの母親、祖母、おじ等が収容されていたフリーメーソン寺院でも200名にも及ぶ市民が虐殺された…

  • 2022年3月25日

『マニラ戦』:「女性たちだけが”ベイビューホテル”に連れて行かれたんです」~イサベル・カロ・ウィルソンさんの記憶・証言 / ムービー(フィリピン)

性暴力、性被害の証言を聴くことは特に難しい、といいます。。その記憶を心の奥底から引き出すことの苦痛は耐えがたいものであり、また、それはスティグマともなる可能性もあって告発することさえ簡単なことではないのです…イサベルさんは、元駐スペイン・フィリピン大使でもあった方ですので、様々なことを考慮して、話せること、話せないことを取捨選択しながらのお話だったと思います…

  • 2022年3月25日

「マニラ戦」生存者インタビュー : ベニート・レガルダ・ジュニアさん+ジェームス・リットンさん+アルベルト・モンティーリャさん /ムービー(フィリピン)

「マニラ戦」を子ども時代に体験した3人のフィリピン人の方々への戦中の記憶を辿るインタビュー。レガルダさんは著名な歴史家であり、経済の専門家でもありました…リットンさんは「なぜ、 戦中の日本人たちはあんな蛮行を働いたのか。私はいまも理解できない」と語る…スペイン語を日常的に話していた家庭で育ったというモンティーリャさん…当時のマニラの様子も含めながら…

  • 2022年3月25日

73周年「マニラ戦」記念式典2018年2月10日/ムービー(フィリピン)

太平洋戦争末期、マニラ奪還のため侵攻してきた米軍に対して、当時フィリピンを占領していた旧日本軍の一部はマニラ市内に残り徹底抗戦をしました。その結果、旧日本軍の部隊は全滅。マニラは戦闘と砲爆撃で壊滅し、逃げ遅れて命を落としたマニラ市民の数は10万人以上に上ります…2018年2月10日に行われた式典を以下、Vimeo無料動画よりお届けいたします…