74周年「マニラ戦」犠牲者慰霊祭2019年2月16日/ムービー(フィリピン)

MEMORARE-Manila 1945 Foundation,Inc

BATTLE FOR MANILA
74th ANNIVERSARY
16th FEBRUARY 2019
Plazuera de Sta Isabel
General Lune Street, Intramuros, Manila

メモラーレ・マニラ 1945 財団

マニラ戦
74周年 記念式典
2019年2月16日 
プラスエラ・デ・サンタ・イサベル
ジェネラル・ストリート イントラムロス マニラ

2018年からNPO法人「ブリッジ・フォー・ピース」(以下、BFP)とともに参加し、撮影・記録している「メモラーレ・マニラ・1945」主催の「マニラ戦」犠牲者・慰霊祭。74周年目を迎えた2019年、式典には「BFP」とは深い関わりを持つ中野聡 教授(一橋大学/社会学研究科 教授・社会学部 教授・一橋大学 学長)が代表として参列し、スピーチを行いました。フィリピンの歴史に精通されていて、「戦争の記憶」に関しても深く洞察されてきた中野聡 教授。フィリピンの方々の心にもいつまでも残るような言葉に満たされていました。

        中野聡 教授(一橋大学)

また、アメリカから「ランペイジ~マッカーサー、山下、『マニラ戦』」(Rampage: MacArthur, Yamashita, and the Battle of Manila【James M. Scott】)という書籍を執筆されたばかりのジェームス・スコット(ジャーナリスト)さんが参列。スピーチでは『マニラ戦』がいかに凄惨で大きな被害をもたらしものだったのかを、細部にわたる取材と調査に裏打ちされた説得力のある言葉で語っておられました。

式典の全体の様子、行われたすべてのスピーチを以下から無料配信にてご覧いただけます。

2019年2月16日
取材・撮影:刀川和也(「隣る人」工房)

「隣る人」工房

※本編での使用言語は主に英語ですが、字幕等はつけられていません。

「マニラ戦」関連記事等へのリンク

「マニラ戦」とは、第二次世界大戦末期の1945年2月3日から同年3月3日までフィリピンの首都のマニラで戦われた日本軍と連合軍の市街戦のことをいう。この戦闘に巻き込まれて、フィリピン市民の10万人以上が死亡したといわれる。徹底抗戦をした旧日本軍は全滅。その中で、旧日本軍はフィリピン市民への多くの虐殺事件を起こしている。

「メモラーレ・マニラ・1945」とは、戦後50周年を機に「マニラ戦」戦没者の追悼と記憶の継承のために設立された民間団体。「メモラーレ・マニラ・1945」が建立した記念碑の碑文には以下のように記されています。

☆  ☆  ☆  ☆

メモラーレ – マニラ 1945

”この記念碑は、何の罪もないすべての戦争の犠牲者に捧げられる。
その多くは、名もなく、名前も分からないままに共同墓地に葬られたり、墓地にさえ眠ることができなかった犠牲者もいる。戦火で灰となり、廃墟の瓦礫の下に砕かれ塵となって埋もれてしまったのだ。

この碑を、1945年2月3日から3月3日までの「マニラの開放ための戦い」で殺された10万人以上に及ぶ男性、女性、子ども、幼子、すべての、一人ひとりの墓碑としよう。わたしたちは、彼らのことを忘れてはいないし、これからも決して忘れることはないでしょう。

いま、この神聖な、わたしたちの愛する街、マニラの地の一部となり、どうか安らかにお眠りください。

1995年2月18日”

MEMORARE – MANILA 1945

“THIS MEMORIAL IS DEDICATED TO ALL TOHOSE INNOCENT VICTIMS OF WAR. MANY OF WHOM WENT NAMELESS AND UNKNOWN TO A COMMON GRAVE, OR NEVER EVEN KNEW A GRAVE AT ALL. THEIR BODIES HAVING BEEN CONSUMED BY FIRE OR CRUSHED TO DUST BENEATH THE RUBBLE OF RUINS.

LET THIS MONUMENT BE THE GRAVESTONE FOR EACH AND EVERY ONE OF THE OVER 100,000 MEN, WOMEN, CHILDREN, AND INFANTS KILLED IN MANILA DURING ITS BATTLE OF LIBERATION, FEBRUARY 3 – MARCH 3 1945. WE HAVE NOT FORGOTTEN THEM, NOR SHALL WE EVER FORGET.

MAY THEY REST IN PEACE AS PART NOW OF THE SACRED GROUND OF THE CITY : THE MANILA OF OUR AFFECTIONS.

FEBRUARY 18, 1995 “

☆  ☆  ☆  ☆