抵抗の白バラを足元に遺す
昨年(2019年)の九月、ナチスの生誕地であるミュンヘンの戦争遺跡を訪ねた。戦中の爆撃と、戦後の証拠隠しで、ナチスの蛮行の跡は消えたものも多いが、それでも遺る戦争遺跡が、見る者に問いかけ続ける。
ミュンヘン大学(正式名はルートヴィヒ・マクシミリアン大学)。大学といっても大学街なので、街中に大学の校舎がそこここにあるというイメージだ。
Uバーン地下鉄の大学駅を上がってすぐに医学部校舎がある。入口前の噴水広場かに広がる石畳に、ビラをモチーフにしたモニュメントが、まるでビラをまいて地面に落ちたそのままのように埋め込まれている。学生たちはベンチに腰かけて憩い、人々は犬の散歩をしながら通りすがる。
そこは「ショル兄妹広場」。1943年2月18日、ミュンヘン大学の学生による反ナチ非暴力抵抗運動「白バラ運動」の中心メンバー、ハンス(23)と妹のゾフィー・ショル(21)が、大学内でビラをまいて逮捕された校舎前。彼らは、剣ではなくペンでドイツ国民に向けてビラを作ったのだ。1942年~6種類のビラを作り、「現実に気づき、不条理さを訴え、抵抗せよ、無責任な独裁者に統治を任せないで」と訴えた。
校舎に入ると、そこは最後のビラがまかれたホールだ。吹き抜けの3階からビラをまこうとして捕まった。
向かって左側の壁にはショル兄妹と共に逮捕され処刑された白ばらの同志の大学生らとクルト・フーバー教授を表した記念碑があり、右の壁にはゾフィーの胸像がじっと一点を見つめている。
ホールの裏手に、ビラの展示等のある「白バラ記念館」があり、学生たちが熱心に読みふける。
時の政権に抵抗した学生たちの活動は世界に知られ遺されるが、翻って日本はどうか。
大学生の抵抗運動で弾圧された先達がいた。ビラもまいただろう。1933年、小林多喜二が拷問で殺された年に、治安維持法で逮捕された東大生、前澤雅男氏。同年9月19日付東京朝日新聞に「青ヒゲの大将」ついに逮捕へ、との記事が出ている。ゾフィーらと同じ大学生。しかし、大学構内に、彼らの行動を遺す、記録する、記憶させる、といった類のモニュメントなど存在しない。
稲塚由美子(取材 / 文・写真)