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フィリピン関連

  • 2022年6月16日

75周年「マニラ戦」犠牲者慰霊祭2020年2月15日/ムービー(フィリピン)

2020年は戦後75周年ということで節目の年でもあり、セレモニーを執り行うフィリピン国軍の軍人の数も多く、通常よりも規模は大きく盛大な式典でした…011年より公式に慰霊祭に招待されているBFPからは代表の神直子さんがスピーチを行いました。学生時代にスタディーツアーで訪れたフィリピンで、ある女性から強い憎しみと怒りをもって「日本人とは会いたくなかった。なぜ、あなたはフィリピンに来たのか」と問い詰められたのがBFPの活動の原点だと、神さんは言います。その女性は戦時中、フィリピンを占領していた日本兵によって夫が連行され、その後、二度と戻ってくることはなかったというのです…

  • 2022年6月8日

74周年「マニラ戦」犠牲者慰霊祭2019年2月16日/ムービー(フィリピン)

2018年からNPO法人「ブリッジ・フォー・ピース」(以下、BFP)とともに参加し、撮影・記録している「メモラーレ・マニラ・1945」主催の「マニラ戦」犠牲者・慰霊祭。74周年目を迎えた2019年、式典には「BFP」とは深い関わりを持つ中野聡 教授(一橋大学/社会学研究科 教授・社会学部 教授・一橋大学 学長)が代表として参列し、スピーチを行いました…式典の全体の様子、行われたすべてのスピーチを無料配信…

  • 2023年2月16日

私の戦争の記憶と戦後:「戦争が奪ったものをたどる~戦死した父の絵手紙・残された母の人生とは…宮﨑黎子さんの語り / ムービー(日本・東京 / フィリピン)

宮﨑黎子さんは1942年生まれ。お父さんの矢野金治さん(享年35歳)が、1942年に出征した満州から妻と幼い娘に宛てた12枚の絵手紙を前に、愛娘の黎子さんは思い出を語ります…戦後50年の節目の年、戦死と聞かされていた父の死の真相を知ることになります。激戦のフィリピンで、敗戦後も生き抜いた父が、捕虜収容所で年若い将校の身代わりとなって亡くなっていた…

  • 2022年6月1日

『マニラ戦』:「母、祖母、おじたちが、どこで、どのように殺されたのか…いまだに不明なままです」~ローデリック・ホールさんの語り / ムービー(フィリピン)

…米軍のマニラ侵攻が押し迫ってきた1945年1月20日、突然、銃剣を携えてやってきた日本兵がローデリック・ホールさんの自宅の家宅捜索を執拗に行い、ホールさんのおじが隠し持っていた短波ラジオを発見したのです。スパイの容疑がかけられ、ローデリック・ホールさん、すぐ下の弟、母親、祖母、おじ、家政婦等全員が日本軍の憲兵隊が接収していたフリーメーソン寺院に連行されました…ローデリック・ホールさんの母親、祖母、おじ等が収容されていたフリーメーソン寺院でも200名にも及ぶ市民が虐殺された…

  • 2022年6月3日

『マニラ戦』:「女性たちだけが”ベイビューホテル”に連れて行かれたんです」~イサベル・カロ・ウィルソンさんの記憶・証言 / ムービー(フィリピン)

性暴力、性被害の証言を聴くことは特に難しい、といいます。。その記憶を心の奥底から引き出すことの苦痛は耐えがたいものであり、また、それはスティグマともなる可能性もあって告発することさえ簡単なことではないのです…イサベルさんは、元駐スペイン・フィリピン大使でもあった方ですので、様々なことを考慮して、話せること、話せないことを取捨選択しながらのお話だったと思います…