言葉、音声、画像、動画等を駆使し、個人に光を当て、個を大切にした記録活動。表現行為を通して、時空をまたぎ、人とつながり、人と人とをつなげていくことを探求しています。

誰が虐殺の現場を消したのか

東欧ウクライナの首都キエフ北西に位置するバビ・ヤール州立公園。ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の地。

バビ・ヤール州立公園。親をここで殺されたというウクライナ人女性が、渓谷の縁に座っている(右下)

ホロコーストについては、アウシュヴィッツ絶滅収容所などが知られているが、バビ・ヤールの虐殺は、戦時の大がかりなユダヤ人抹殺が、大都市で行われた初めてのものだった。

1941年9月29日、キエフを占領したナチス・ドイツが、市内のユダヤ人全員を集め、衣服を脱がし、バビ・ヤール渓谷まで歩かせて一斉に銃殺した。死体が隠れる程度に土をかぶせ、また犠牲者を銃殺し、また土をかぶせ…。銃声は2日間続き、3万3771名のユダヤ人が、年寄り、若者、子ども、赤ん坊を抱いた母親もまったく区別なく殺されたという。

その後も谷は処刑場となり、ソ連の捕虜やシンティ・ロマの人々、ウクライナ民族主義者も銃殺され、43年、ソ連がキエフを占領するまでに、10万人にもの人々が殺害された。

だが、ソ連はバビ・ヤールを、ユダヤ人虐殺現場でなく、国威発揚、ソ連軍兵士の英雄顕彰の場とした。ソ連占領時代、ユダヤ人犠牲者追悼記念碑が計画されても、すべて却下された。

76年、ユダヤ人の姿なきソ連市民と捕虜の記念碑が公式に建造された。兵士や市民の群像として作られ、谷に向かい、威圧的にそそり立つ。

ソ連市民と捕虜の記念碑。現場の谷は、埋められて、高低差があっても10mほどになっている

91年ソ連崩壊後に、ウクライナ政府は、虐殺されたユダヤ人を記念するメノーラー(ユダヤ教特有の燭台)形の追悼碑を建設することを認めた。

ユダヤ人追悼碑。2011年、ヤヌコビッチ大統領が初めて追悼訪問をした

子どもたちの追悼碑も2001年に設置された。

子どもたちの追悼碑。碑のある公園は、子ども連れの家族がゆったり遊んでいる

だが、ウクライナの人々の気持ちは複雑だ。ロシアは2014年以来、クリミア半島を併合した。オルガさん(30歳)は、田舎に住む彼女の祖母の本音を聞いたという。「ドイツ人の方がまだマシ」と。

33年、スターリンによるウクライナ飢饉では、300万人以上が死亡。37年~38年のスターリンの大粛清で殺されたウクライナ人は70万人という。

ヒトラーとスターリンが政権を握った33年~45年の間に、ナチスとソ連は、ポーランド・ウクライナ・ベラルーシなどヨーロッパ中央部の戦場となった国々で、無辜の市民を約1400万人殺したといわれている。

バビ・ヤール渓谷という記憶の現場に立つと、歴史とは、誰によって為され、誰によって消されるのか、突きつけられる。

稲塚由美子(取材 / 文・写真)

※この取材の通訳兼ガイドを担ってくれたのは、キエフ(キーウ)在住のオルガさんでした。22年2月24日、ロシアがウクライナへの攻撃を開始した直後、彼女からSNSを通じて爆撃の様子を撮った動画や避難している地下鉄構内や地下駐車場の写真等が送られてきました。そのSNSのやりとりもあわせて以下から読めます。

「キエフ【キーウ】からの通信(ウクライナ)」

「ふぇみん」2018年2月15日号・初出