「負けてたまるか、とたくましく生きてきたよ」/ 福岡・戦時中・炭住での「貧乏暮らし」~小谷瑞枝さんの語り / ムービー(日本/福岡)

小谷瑞枝さん:刀川の熊本の実家にて

★「負けてたまるか、とたくましく生きてきたよ」
福岡・戦時中・炭住での「貧乏暮らし」~小谷瑞枝さんの語り / ムービー

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小谷瑞枝さんは、刀川和也(「隣る人」工房)の母方の伯母です。話の聞き手は、稲塚由美子(「隣る人」工房)が務めています。なぜなのかというと、そもそも戦時中の記憶を持つ方々から、戦中のことだけでなく、戦後もどう生きてこられたのかを、個人的なライフ・ヒストリーとして聴きとるということを始めていたのは稲塚由美子だったからです。彼女がずっと前から音声記録や聞き書きとして記録しようとしていたことを映像記録としても残していこうということが出発点だったのです。

わたしは、そのときまで、伯母から戦中の話なんて聴いたことはまったくありませんでした。

「特別な体験でなくてもいい。同じようなものでも細部を聴けば、一人ひとりが違った体験と記憶を持っている。でも、多くの人たちが、心にしまってきた個人的な記憶を誰にも語ることもなく亡くなっていく。自分の身内にこそ、なおさら、語れないのだ。『遺言』を聴きとるように、一人ひとりの話を聴くことは、その一人ひとりの方々にとっても、わたしたちにとっても意味があること」

これは、稲塚由美子の言葉です。この言葉を頼りに、わたしは父親に依頼して、伯母の撮影をセッティングしてもらいました。

それが…なんと、おもしろかったことか…。わたしにとっては、初めて聞くことばかりでした。福岡の炭鉱住宅で育った伯母。「貧乏暮らし」の記憶を歯に衣着せぬ物言いで語る伯母の姿が、20代の頃に読んだ「青春の門・筑豊編」(著:五木寛之)に描かれていた登場人物たちの姿と重なり、炭鉱の世界が目の前に鮮明に広がっていきました。

「旧志免鉱業所竪坑櫓」(福岡県)

伯母の話の流れが時系列がバラバラに展開されていくことも興味深かったです。記憶の濃淡に左右されながら、話の内容もあっちへいき、こっちへと戻ってきてと思うがままに飛んでいきます。同じ出来事が、初めに話したときと次に話したときでは事実関係が違っていたりもします。

「記憶」…とは、そういうものなのかもしれないと、改めて思いました。記憶とは主観的なもの。時を経て、自分の置かれた状況、また社会状況の変化の影響を受けて、無意識にも記憶がぬりかえられていく…ということもあるのかもしれない。また、記憶を生きていくための糧とするために、希望や願望がないまぜになり記憶が再編されていく、ということもあるのかもしれない…と。

そのような「記憶」を、その人は、どんな語り口で、どんな表情で、語ったのか。

映像は、それを丸ごと記録し、保存します。その人の「人となり」や「人生」がうつり込みます。何度も見返し、また、時を経て、再度観たとき、また、新たな発見をすることがあるかもしれません。それが、「記憶の記録」の醍醐味なのです。

刀川和也(「隣る人」工房)

撮影日:2016年10月20日
聞き手:稲塚由美子 / 「隣る人」工房

制作:「隣る人」工房

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