「負けてたまるか、とたくましく生きてきたよ」/ 福岡・戦時中・炭住での「貧乏暮らし」~小谷瑞枝さんの語り / ムービー(日本/福岡)

★「負けてたまるか、とたくましく生きてきたよ」
福岡・戦時中・炭住での「貧乏暮らし」~小谷瑞枝さんの語り / トランスクリプト

以下、
小:小谷瑞枝さん / 1929年9月生まれ
稲:稲塚由美子(聞き手)

※数字は映像内でのタイムコード

00000
小:小谷…小さい谷…みずえ…瑞っていう字…枝のえ…。父親が瑞一だったもんですね。 それで、瑞っていう字を書いて、下に枝でみずえって呼ぶ…。
稲:ああ…枝ですね。

小:昭和7年4月12日。
稲:じゃあ、いまは満…
小:84歳。
稲:84歳ですね。 

稲:お住まいは・・
小:今は福岡の篠栗町なんですけどね…。

【京都の料亭に奉公へ】

00042
稲:じゃあ、まず小さい時の…

小:小さい時はですね…一番下の弟が…七人目の弟が…妊娠した…腹に入ったときに、 はじめに…わたしががんばろうと思ったのはですね…父親と母親と…夜中に話して…母親が泣きながら…(わたしは)布団をひっかぶって…聞きよりましたですたい。そしたら…「妊娠したけん…大学病院…九大か…堕してもらおう」と…。いまの時期は…子どもを堕ろすという時代じゃないと…。産めよ増やせという時代だから、それは国に対していかんじゃないかって…いうようなことを聞いたけど…。「産むっていうてもお産代がないのでどうしたらいいかな」って…。「子どもはもう6人おって7人目なので、だからね…もう親子で死ぬしかないな」って…いうような…もう、どこにいっても通じんって…。戦時中でもあるしね…。だから…というような話を…父親と母親が泣きながら 夜中に話しよったのを布団ひっかぶって聞いとりましたもん。私が…「よーし」…「そんなバカなことはないわ」って…なんとかわたしの力で…ないよろかって…いって…京都のおばさんに…京都の叔母が…あれはなんていうかな…料亭みたいなことを…やりよりましたもん…。父の方の親戚ですもん。遠い…親戚っていうなら親戚っていう感じですたいね…縁の遠い…あれですけど…。それを聞いとったもんですけん…その叔母さんに…住所を父親から…たまたま…聞いて…。あの…お父さんに聞いたら…「京都のおばさんに何の用があるか」って…怒られたけん…「いや、あたしはね…芸妓さんが大好きなんよ」って…「ちょっと 芸妓さんを見に行きたい」って…父親に言って。そして おばさんに「お前に苦労ばっかりかけよっけん。しようのなかけん」…。そして、「うちの茶碗洗いでもいいじゃないか」っていうことで…おばさんが呼んでくれたけん…京都にひとりで行きました…。

00250
稲:それは何歳のときに…

小:ええーと、15歳か…16にはなっとらんでしたもんね…。
稲:7人目の弟さんが生まれたのは何年ごろ…
小:何年かわからんですね。この間、「きょうじ」に聞いたら…いま60歳ぐらいかな…ちょうど…一番下んとは…。
稲:戦後…戦後ですね…
小:そうですね。そうそう…。そけん、「きょうじ」っていう名前をつけたんですよ。「きょうじ」…。一番下の弟の生まれたときのお産の費用…お金はいくらか忘れてですけど…借りたですたい…。
稲:おばさんから?
小:うん…。そのかわり、私はタダ働きですたい。それで、「きょうじ」が生まれたときにな…わたしがそこに…おばのうちに…料亭に…女中で行っとらんならば…生まれとらんですたいね…。堕ろすに堕ろされんなら、自殺せなならんごつなっとですたい。子どもはボロボロおるし…7人目やけん…。だから、「ねーちゃんの恩を一生忘れちゃならん」ということで、京都の京って書いて…二って書いて…「京二」って名前をつけたったい。それは…いまは悔やますですたい…。「好かん」って…。その名前が気に入らんって…。
稲:って言ってるの?
小:(うなづく)。ずーっと、ねーちゃんからな…「ねーちゃんがおったからお前は生まれたぞ」…とかな…。なんか気に食わんことがあったら、「ねーちゃんが言うから…それは嫌だ」っていう…。この間も、そういうことでね…「ばかたれ」って言って…喧嘩してきたですたい…。
稲:その弟さんが そうやって ずっと言われるのが嫌だと…
小:嫌だと…。そやけんね…「お前は誰のためにこの世に生まれたと…」って言うけん。わたしが、ちょっと酔っぱろうたら…言うたい…。だけんがくさい…「ねーちゃん…俺はな…それが一番好かん」って…。役場に小さいときに…(わたしが)18ぐらいのときに…わたしは言いよったたい…「おまえはこの世に生まれたのは、ねーちゃんのおかげたい」って…私が言うたっだろうね…。で、役場に行って「名前ば変えてください」って言いに行ったって…。そしたら、ストップかけられて…ダメって…。
稲:何歳のときに…
小:まあ ちいさいときやろね。
稲:小さいとき…
小:うん…。
稲:自分で
小:うん。6年生か中学1年生か…そんくらいのときやったやろ…。「京二の京っていう字は好かんから…下の二はいいから、上ば変えて」って…言われたげなたい…。うちの父親は、役場関係で働きよったけん…。だけん、その話は聞いとったんでしょうね…。「馬鹿たれが!罰当たりが!」って…。「この『京』っていう字は、どれだけよかかわからん」って…。「絶対、二度と言うな」って…。「しちゃあならん」 って言うたって…。そしたら、弟が「裁判にかけるぞ」って言うたって(笑)…大笑いしたことがあるとよ(笑)。
稲:でもね…何回もそれが繰り返されるから…弟さんがそういうふうに…
小:うん…うんうん…。

00529
稲:でも、よく行かれましたね。そのとき、手紙かなんか書いたんですか…おばさんに?

小:いや、なにも書きません。電話…。
稲:電話したんですね…
小:うん…。だって、わたしが読み書きが下手クソやもんやから…。まあ…おばさんところは有名な料亭だったもんね…。電話はあったので…昔の電話やけどね…。そやけども…まあ…わたしがして…で、父親には言わんやったたい…。そしたら、父親が…親として、そやんわけにはいかんので…父親がおばさんに…こういう事情だから、いくらかお産費用でもね…貸してくれって…。で、払う(返済)のはいつ払うっていうのは言われないので、「瑞枝ば、ちょっと…女中奉公に出すので、それをいくらか…まあまあ、給料から差し引いて…してくれ」って、言っとらすたい…。
稲:行かれたときはね…働いててどうでした? 瑞枝さん…
小:やっぱ、大変だったですね…。そやけんね…行って…ひと月…ふた月ぐらいしてからかな…。それもね…京都になんか行ったこともないよ…。それも三号線(おそらく山陽線)のガタガタって…乗り換え、乗り換えでね…行って…。京都の駅に着いたら、おばさんが…おばさんとこの…名前は忘れたけども…板前さんたちが旗を持って…いま迎えにきてますよっていうふうに…京都の駅に待ってやったです…2,3人で…。そんときに…ちょうど…美空ひばりの…初めての歌がありよりました…。
稲:美空ひばりの歌…どんな?…
小:わたしもようわからん…。ひばりって有名やったけど…ああ…こんな歌やったなあって…思って聞きました…。わたしも…貧乏人やから、歌…いうても、ちょっとラジオで聞くかなんかだったでしょうね。まだ、ひばりが14か15ぐらいだったですもん…。京都駅でガンガン…レコードが…歌が…流れよりました…。それは…しっかり頭にあっとですよ…。

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稲:部屋はみんなで一緒に住んでいて…朝からは…

小:部屋はね…わたしは、まあまあ…姪っ子やもんやから…なんとか、女中部屋やけども…着物とかかかってるような…ちょっと押し入れよりか大きいようなところに、ひとり、寝よりました…。
稲:ああーほんと…
小:そこは…もう、ちょっとサービスたいですね…。なかなか…仲居さんなんか、すごかもんですもんね…京都あたりは。出入りは厳しいけんね…しつけが違いますよ…やっぱ…。
稲:じゃあ、食べるものも全然…そのときは…
小:食べるものは…やっぱ、そういう店やから。食べ物…ないときやったけども…やっぱ、違いましたね…食べ物は。結構、食べれましたよ。残りもんじゃあるけどね。お客さんに料亭で出しますよね…。お客さんの残りにまた、火を通して…食べるんですよ…。それはよかった。食べ物は苦労してない…。わたしなんか、また…親戚関係でもあるもんですけんね…。まあまあ…みなさんがね…ちょこちょこ、おにぎりをにぎって…ちょっと隠して食べさせたりね…それはありましたね。そやけん…全然、苦労はしておりません…。

00848
稲:おいくつぐらいまで、そこにおられたんですか?

小:16ぐらいまでおったですよ…。父親がね…やっぱ…すごい吞み助で…アル中みたいになっとったですけん…。わたしが一番長女やもんですけん…可愛くて、たまらんけん 一杯飲んだら…裏が…ちょうど…福岡の飛行場の裏に家ば建てとったもんですけん…山に登って、わたしのね…「自分がこういうふうにあるから…瑞枝に京都のおばさんとこに…全然…わからん…勉強もさせとらん無学なのに…あの…自分がそれだけの力がないので苦労かけた」って…一杯飲んだら山に向かって、わたしの名前を呼んで泣きよったですたい…。
稲:ああーそう…
小:うん…。「すまん」って言って…。涙ん出ますよ…。
稲:それはお母さんから聞いたんですか?
小:はい…母から聞きました。飲んだらね…山に行ってね…もう、「瑞枝、すまんのう」って言ってね…泣きよって…。そやけん、「帰ってこらるっならね…帰ってきてほしい」って言うて…。そういう話がおばさんの耳に入って…おばさんが「借金を貸しとるから、それをかたにお前は働きよると思うとる…全然、その気はない」と…。「一生懸命に働きよるね、お前の気持ちを感謝しとる」と…。「だからね、もうちょっと礼儀作法を覚えて…。自分のためで…給料じゃない」と…。「おばさんたちは金はいらん…自分のためになるけん…頑張れ」って言って…。そやけんね…一番 京都に行って…悲しかったのは…悲しいやないけどね…7人兄弟の長女でしょ…。そんときに…お正月に みんな…京都…ああいう料亭は、こんな(大きい)…お盆の…立派なもの…三段重ねぐらいで、三日分が出るんですよ…31日の晩に…。
稲:一人ずつ?
小:一人ずつ…。パッと出るんですよ…ちゃんとした料亭はね。それで、ちゃんと…だれだれって…名前を書いて…それをね…みんな一緒にふたをあけて…手を合わせて「今年もどうぞお願いいたします」って、挨拶して…。おいしいなあっていう料理を食べていきよったですけど…。三段重ねのお重をもろうて…。三日分だからね、一番上を食べて…。たらね…もう涙が出て…食べられんとですたい。わたしが…生まれて初めてでしょ…お重の御馳走なんて…。
稲:それも一人のね…
小:うん!…それも三段…三日分ちゃんとくるんだから…。そして、立派なお屋敷でしょ…部屋もね。そして、みんな…仲居さん…みんな、働きよるもんが来たときに…食べようと…それを見ただけでね…涙がワーって出てね…食べられんやったとですよ…。みんな…仲居さんたちが「瑞枝さん…なんで泣きよる?この御馳走があわん?」って言って…。そして、黙っーって…もう涙が出て…箸だけ握って…しとってね…料理ば見たら…。そしたら、仲居さんが…一番トップの方が「瑞枝さん…ちょっとおいで」って言って…。「なんかあるんかね」って…。「みんなで…話のされんならね…わたしだけに言ってなあ」って…。そいけん…わたしは、「あのね」って…「不満どこじゃない」って…「わたしはね、お重を三日分なんて…こんな立派なお重に三日分、目の前に据えられたらね…生まれて初めて」って…「どうして食べていいか…びっくりした」って…。それが一番…。それとね…「自分だけこんな御馳走を食べてね、いいんだろうか」って…。「きょうだいにみんなに分けて食べさしてあげたい」って…。「みんながどんなに喜ぶだろうかって思うた」って…言うたですたい…。そしたら、みんな仲居さんたちは  大泣きでしたですたい…。「あぁ、そうね、そうね」って言うてね…。もう、いまだに そのことが涙が出ますね…。ほんとに…みんながその日にくさ…野菜がなかったら、セリ摘みにいったり、ノビルを採ってきたりして食べよる時代でしょうが…。京都では  そういうことがありましたね…。

01257
稲:そしたら1年半ぐらいですかね?

小:そうですね。二年まではおっとらんじゃ…。もう、おばさんが…「十分がんばってもろうたけん。もう、瑞枝帰れよ」って…。「お前、クビだ」って…。「もう正月には人ば泣かせる…とんでもないやつや」っていうようなことたい…。
稲:かわいがってくれた…
小:そうたい。いまね、おばさんの気持ちはよーわかったたいね…。最初はね…「いつでも帰ってやるわ」っていうようなことやったけどね。帰りはね…いまのごと、手提げみたいなものはない…「やなぎごうり」…。あれにね…山ほど着物をもらってん…かすりや帯やなんやいうて…びっしり…仲居さんたちがタダでくだすって…。それをね…汽車から降りて…そしてから…柳行李を担いで…「土方」橋っていう…昔、橋があったんですよね…その大川を渡らんと…うちの実家が下臼井なので…。そいでね…で、そこを渡って…柳行李をかろうて行きよったら、ちょうど同級生に会うて…「おまえ、どこに行っとったつや?柳行李をかろうて…なんやそれ?」って…。「おまえ、闇市かなんかいって、なんか仕入れてきたんじゃないか」っていうような…。
稲:言われた?それは男の人?
小:男の子ですたい。うちのね…炭鉱におったもんですけん。こう…長屋ですから。隣は仲良しだったんですよ…男の子やったけど。わたしがいっちょ上で…でも「めぐしゃん、めぐしゃん」言うて…喧嘩ばっかししよったんですよ…。その子が、そがん言うて…「おまえ、いっときおらんやったけど、どこ行っとたつや?」…「京都のおばのうちよ」「うわー柳行李…すごか!俺、初めて見た」っていうようなね…。昔ですけんね…。

【「どまぐれ」だった父親のこと】

01441
稲:じゃあ、話は戻っちゃいますけど…炭鉱住宅って言ってましたよね…
小:はい、はい。
稲:また、そのあとに戦前の話もお聞きしますけど…
小:うんうん。だいぶん、おりますよ…
稲:戦争が終わって…その炭鉱住宅…ずっとそこにいらしたんですか…それとも…
小:結構、おりましたね。
稲:戦争の前からですか?それとも…
小:戦争中ですよね…。
稲:中ですか…。
小:そうです、そうです…。

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(挿入)小谷瑞枝さんが暮らしていた炭鉱住宅近くに残る「旧志免鉱業所竪坑櫓」を訪れる

01703
稲:それは生まれて…それこそ…国民学校に行かれて…
小:うん…。まだ炭鉱住宅におるときですよ…6年生っていうのはね。6年までしか 国民学校はないのでね。わたしは、たまたま、そこの…炭鉱住宅ですから…あんまり おらんだったですたい…子どもが少ないですたい…。もう18歳ぐらいになったら、みんな兵隊に…。満州あたりにひっぱられて…金になるからね…満州に…。意味はわからんだったですけど、みんな、満州あたりに行きよった人が多かったです…。そのころ…ある程度の歳になったらね…金儲かるし、いろんな面でよかったんじゃないですか…。詳しくは知らかった…。満州…牡丹江とか…。よう行きよんなさったですね。…で、ようなったら(よくなったら)、家族全部、引き上げていった人もおりますよ…牡丹江には…。
稲:じゃあ…炭鉱住宅に移る前にはどっちに?
小:炭鉱住宅の前ね…
稲:どこか、わかんないような感じですか?
小:どっかの社宅ば借りとったでしょうね…。なんさま…炭鉱住宅っていうのは…炭鉱というのは…増えるですもんね。一抗…二抗ってありよったですけんね。だから、わたしは炭鉱で生まれとるとじゃなかかなあ…生まれたときは。よう覚えんですたい…そこはね。そやけどね…なんさん、うちの父親が呑み助やったもんですけん。ちょうど生まれて…一週間目ぐらいに…わたしがちょうど、四月生まれやから、花見がありよったそうですたい…炭鉱の呑み助が…桜の下で…。そしたら…「友永さん…あんたとこの…女の子が…お産…あれして…女の子が生まれたばい」って言って…誰か言うていったら…「よし!」って言って。そして行ったら…抱えようとしたら…産婆さんがきて…「へその緒もとれとらん生まれたばっかりの赤ちゃんば…抱いて出ていくバカがどこにおるか!」って怒られたそうですたい…父親が…。
稲:それは…よくわかりますけど。なかなか、そんな話が残っているのが珍しいですよね…。
小:うん…そがん言われたけん。父親が「へその緒なんかのけるわけないじゃん。俺がくっついてやっとっとじゃけん…俺が作った子やて」って。一杯飲んでるもんやけん…。そしたら、みんなから…「そがん言うたって、もしも…」…それを抱いてね、というか…いっぱい飲んどるから…みんなが「俺も抱かせて、俺も抱かせて」って言って、わたしを抱いてまわったけん…へその緒がとれてなかったので…もう、半年ぐらい病院通いしたっとです…。
稲:そうね だって…
小:生まれたばっかりの赤ちゃんば連れてまわっとっけん…。みんな、酔っぱろうてるじゃなかですか…。そいけん…へその緒が…こがんなって(腫れあがって)…いまこそ おかしいないけどね…。ずーっと…へそはおかしかったよ。何回も手術しとるもん…。
稲:やっぱり そこがじゅくじゅくして…
小:やっぱりね…水がたまったり…病気ですよ…。原因はね、へその緒はやっぱり、ある程度時間がたたんとダメじゃないですか…。それを…生まれたばかりの赤ちゃんを抱きまわっとるけん…。そして抱いた人たちはみんな、酔っ払いじゃないですか。「めでたいぞ、めでたいぞ」って抱きまわっとらすらしいたい…。それも母親が、よう言いよったですよ。そやからね…へそは相当お金がかかっとっと…。いつも、絆創膏を貼っとって…。ボコって出とっと…化膿してね…。
稲:お父さんも、その時代はね…生まれたばっかりの子がね…そういうので、出してはダメだみたいなことをね、やっぱり、わからなかったよね…
小:もう…うれしうて…酔っぱろうとけん…。
稲:かわいがってね…
小:生まれたてんごたっとば抱きかかえてくさ…桜見に行くとくさ…。酔っ払いが抱いとるけん…ええかげんや…。
稲:でも…長女で…瑞一さんの瑞をとってね…
小:そうそうそう…そうです。
稲:やっぱり…可愛いかったんだよね。
小:そうです…ずいぶんかわいがってもらいましたね…まあ、貧乏はドン底までしたですばってんね…親とのつながりはありがたいですよね。貧乏は、これはしようないもんね…。貧乏人で七人も子どももおってくさ…大変やわ…。親を恨んだことない…。貧乏は全然…。

02116
(挿入)「旧志免鉱業所竪坑櫓」近くの炭鉱住宅があったと思われる路地を車で辿ってみる。

02258
稲:おとうさんは炭鉱で働いていたんですか…それとも…さっき言ってたけど…

小:うん…炭鉱で働きよった…。あのね…うちの父親はね…出はいいんですよ。出は、いいんだけどもね。もう、そりゃ…おぼっちゃま育ちなんですよ…学校も出とるし…。そやけども、まあ…あの…「どまぐれ」ですたい…。

※「どまぐれ」とは、福岡・筑豊では「人の道を外した…」というような意味。

稲:「どまぐれ」っていうのは…なんて言えばいいんですいかね…
小:まあ…なんていうか…昔はね…悪い言葉ですたい…「どまぐれ」…。そやけん、柳町で…呉服問屋をしよったんですよね…有名なんですよ。「こてら」っていうてね…。有名だったけども、うちのお父さんだけがね…長男は、ちゃんと後を継がなんいかんのだけど、うちのお父さんはね…ばあちゃんの…お母さんの実家が長崎なんです…。お寺の一人娘なんですよ…。だから、男の子…一番上は、こっちにおいておってもいいけども…二番目は「友永」っていう…お寺さんですよね…。そこの跡をとるということをね…生まれたときから約束事やったそうですたい…。「友永」っていうのはね…お寺が「友永」っていうお寺で…おかあさんが一人娘やったんですよね…。それを嫁にもろとんしゃったんやね…長男が。もしも、男の子が生まれたら…その…「友永」っていうお寺の跡取りにするっていうことで…生まれて…。そして…ある程度大きくなって…長崎に行って…そして、いろいろと勉強したり…お寺の住職になるって…。大学院まで出らなんいかんとですよね…。お金持ちは…まあ、お金持ちですよね…。相当昔の話ですけん。わたしが生まれる前からの話ですけんね…。そこで、もともと、よかとこのボンボンとして育っとるもんだけん…まあ、頭もよかったもんちゃろうけんね…。大学どころか…親からじゃんじゃんお金が送ってくるじゃなかですか…大学院まで行くから…お寺さんだから…。それをね、みんな、女郎屋さんに使こうてしまった…。
稲:女郎屋さんね
小:京都の芸妓さんに使ってしまった…
稲:京都の大学に行ったんですね…
小:そうそう…大学院まで…。お寺さんやから、特殊な学校に行かなんいかんとたい…。それも、この間、お寺に行って…初めて聞きました…。あんまり詳しいこと聞かんかったけど…。
稲:昔…お寺さんの大学だと…いまだと…
小:なんとかという…大学出してる…。いま、また、違うんじゃないですかね…。自分たちも…長崎で聞いてきましたけんね…。それもわかりましたけど。もう、お寺も全然ないです。相当昔の話で…全部調べてきましたけどね…。

02545
稲:お父さん…大正?

小:何年生まれか、よう…忘れた…父親は…。
稲:大正…ぐらいかな…

小:だって、京都の大学院にお坊さんになるために行きよって…実家からじゃんじゃん お金が送ってくるもんですけん。そのお金は勉強どころか、女郎買いに走ったわけですたい…芸妓さんに…。そして、結局、親から勘当されて…。で、どうしようもなく…やっぱり、福岡に帰ってきたわけたい…福岡の人間ですけんね…。そうして、柳町に帰ったら「お前、勘当した身やないか」と…。「一歩もうちに入っちゃならん」と…。「うちはちゃんとした士族の家なんだぞ」って…。「お前は平民じゃろ。お前は『馬車引き』や」って…それぐらい価値がないんだって…。そして、勘当されて…。そやけん、ある程度頑張って、ちゃんとなったら…もう一回…ちゃんと父親に頼もうと思って…。わたしが生まれたときに、「自分の瑞ばとって…瑞枝とつけました」と…。だけん、「せめて一回でも抱いてつかわさい」って…言ったそうですたい…。そしたら、乳母さんかな…女中さんみたいな人がおって…うちの父親が瑞一やったですけんね…「瑞さん…申し訳ないけども、今は、あんたは、この、ちゃんとした家の息子ではない」と…。「あんたは炭鉱の人間だろう」って…。「炭鉱の人間は『馬車引き』」…。そういう人たちはな…「価値は一緒や」と…。「人間じゃない」と…。そやけんね…「うちには入ってもらっては困るけん」…「どうしても親にね」…そのときは、もう、おばあちゃんは亡くなっとったですけんね…。「お墓に線香でも一本あげて、お参りがしたいというな、やむを得ず血のつながりがあるけん…玄関口から入ってくれるな」と…。「勝手口から入れ」と…。「お前は平民だぞ」と…。わたしもついて行っとったたい…そんときは…。
稲:そのときは何歳ぐらいのとき?
小:一年生…戦後の…やっと落ち着いたときぐらいやないじゃないですかな…。そりゃー立派なもんですよ…。柳町でもね…有名なんですよね…。だけんね…母はね…どこの人か、わからんようね…ちゃんとした家柄じゃないけど…父は…立派ですよ…。弟は…父親の弟は、渡辺鉄工所っていう…社長をずっと長く続けとったね…山口姓にいるんですけどね…。結局、ひとり娘のところに、二男坊やから養子に入ったとですたい…。それは…養子に入ったところは福岡で一番大きかった渡辺鉄工所だった…。そこの一人娘さんのところに養子に入ったですよ…。そして、そこからね…貧乏したけんね…相当恵んでもらいました…。
稲:あーそう。じゃあ…弟さんもね…血のつながりで…いろんなことをしてくれた…
小:そうですよ。ほんとはね…兄貴やから…。
稲:おじさんになるわけですよね…
小:そうです、そうです…。

【炭住での「貧乏暮らし」~よく働く母親のこと】

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稲:「馬車引き」と一緒だって言われたって…話がね…一緒に行ったときに…。「馬車引き」っていうのは…変な話だけど…

小:あのね…昔はね…わたしはね…いま、やっとわかったんだけど…昔はね、「馬車引き」っていうのは最低と…。街の人は…。馬車引いたり、牛や馬を引いて…あがんして 物を売ったりなんかするのはね…人間でも最低って…。ああいうところの人はね…。だけん、柳町っていうところは…いまは…前は女郎屋さんがあったし、芸妓さんがあったし…色街でしょ…。そういうところの昔からの呉服問屋やけん。たいしたもんですよ…。母がね…自分が言われるのはいいよ…そこはお父さんの実家じゃないですか…だけん、 「わたしがね、普通の貧乏人の娘やから」…おとうさんに…「すまんやった」っていうことは言うたね…。
稲:お父さんに済まなかったって…
小:お父さんの「出」と母の「出」とは…えらい時代が違うじゃないですか…あ、家柄が…。
稲:お母さんはね…。
小:そりゃ、頑張りましたよ…。もう読み書きもできない…うちの母は…。やっと名前が書けるだけ…。せやけど、いまの呉服…あそこはなんかね…百貨店ですよね…。なんか、大きい百貨店だけども…あの…リヤカーを引いて…闇市ですたいね…。いろいろな…米を持って…野菜を隠して…上に載せて、売りに行ったり…。それを、ずっと、しよったら…みなさんから…「古い着物あるんだけど、いるなら」って言うて…いただいてくるんですよ…母が一緒懸命にするので…。野菜を売って…買うてくれたら、庭に草が生えとったら草をとったり…片づけたり…きれいにして帰ってくるけん。もう…うちの母にね…野菜がいらんでも買わっしゃるわけですたい…。「ごめんね、ここが汚いけん…してくれる?」って。で、うちの母がしよりました…。それで、相当、わたしは着物をもらっとっとです…。
稲:やっぱり、才覚がね…お母さまね…。
小:手が器用かったですけんね。そやけんね、そして…着物をたくさんもらって…野菜をたくさんもらうじゃないですか…。そしたら、「岩田屋」あたりに行ってね…。いろんな既製品があるじゃないですか…。ちょうど、私が着るごたる洋服があればね…それは…ものさしで測ってもわからんわけです…寸法…。それで、こうして(指・手)測って…襟はこれだけの広さって…手だけで寸法を測って…自分でわかるごと、字を書いてね…しよったら…それが一生懸命やけん…製品ば扱いよったら…店員さんがそれば見て…「あの人は一番の洋服…子どもの売り場におって、みんな、手で寸法を測ったごとして、あそこば1時間も2時間も動きなさらん」…「あら、万引きじゃないと」って…いうような話がいって…下の地下の事務所やったもんね、岩田屋の…そこにいって…。そしたら、一番トップの方が来て…「売る製品を手でなでまわして、どういうことか」って…言うて、「もう警察に届けるから」って、「真下に来い」って、地下に連れていかれたわけですたい…。そのときに…だいたい…「どういうこと…万引き?」…「なんか…様子を見よったんじゃないか」って…。店員の話はそういうことごたるけん…地下まで行ったわけです…事務所に…。そしたら…うちの母が…「あらーああ、すいません」ってね…。それでね、地にね、手をついて「申し訳ないことした」って…。「わたしは泥棒でんなんでんなか」って…。「うちは子どもが何人もおってね…なんか、キレをもらったので、なにか、それを役立ててね、洋服の1枚でもね、わたしは洋裁もなーんも知らんけどね…なんかならんかいなあって思って…手で寸法ば測りよりました」って…。「ここは手で幾らっていうようなことをしよった」って…。「ああーそれは一生懸命やったので、それは申し訳ないことした」って…。「警察でんなんでん、連れていってつかあさい」って…。「泥棒はしてないけども…ちゃんとした新しい製品をね、人様に売らなん製品をね、なでたっていうことで申し訳ない」って…母が地べたに手をついて泣いた…謝ったそうですたい…。そしたら、支配人が来てね…「とんでもない」と…。「だいたい、いくつぐらいの子どもがおっとな」って…言うて…。型紙ばぴしゃってとって…「待ちない」って…。そして、型紙ば…「この型紙がちょっと小さいときは、ちょっと大きくしたらいい」と。子どもの型紙ば…いっさく、そこで作ってきてもろうとっとたい…。
稲:ほんと!それは…
小:うん…そしてね、「あなたは立派な人やな」って…そういう話を聞いてね…涙を流しなさった…泣かしちゃったとたい…。それからね、それを…型紙とか、いろいろ…とってもらって…それで、結構、洋服を縫うたっとたい…。そいけんね、それは母が若いときの話ですけど…何十年って 岩田屋に行きますと…必ず 最敬礼しよりました…その方じゃなくて 岩田屋そのものにね…誰々っていう必要ないでしょうが…ここがあったおかげで おまえたちに 変な恰好ばさせんで おかげで 洋服も習ったし…っていうことで もう ほんとに 岩田屋に行ったら 必ず…裏であろうが 玄関であろうが…ここでお世話になったんだと…ありがとうって言って…

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稲:じゃあ、食べ物は全然…ひもじいとか…そんなこと全然なくて…

小:あのね…食べ物はね、おかげさまでね…セリを摘みにいく…。それから、長い…あれはなんか…なんとかいうやつを採りにいったり…畑にあるものはなんでもとってくるじゃないですか…。そして、それをゆがいて…干します…。陰干しして…それを米を探すのはおおごつぐらい野菜を一杯入れて、ご飯食べます…。
稲:ああー。
小:栄養になるじゃないですか…。
稲:セリ…なずな、じゃないけどね…。
小:そう…。
稲:七草のね。
小:セリは食べましたよ…栄養もあるしね。それを採ってた…時期にあったやつしかないじゃないですか…干して食べるのはね…。セリでしょ…かぼちゃの種…。
稲:かぼちゃの種ね。
小:あれはおいしいとですよ。あれを干してね…。そして、塩をちょっとかけて…豆のごと…フライパンで煎ってね…。また、栄養もあるしね…。あれをしっかり食べよりましたよ…。

03541

(挿入)福岡空港近く。その付近でセリやノビルを摘んでいたことを語る小谷さん。

03722
それで、学校に行きよったときでも…人が白ごはん、麦ごはんを持ってきたら…眺めに行きよりました…。珍しいけん…。食べたことないけん…。「うわー、それ ごはん?」っていうてね。見に行きよりました…。「あんたがた、ご飯ないと?」って。 「うん…違う…ご飯…」って…。「かぼちゃ」って…言いよったですたい…。「いやーかぼちゃ!今度、うちにかぼちゃ持ってきて。ご飯と替えようや」っていう人もおるよ。子どもやけん…。
稲:食べたことない…
小:ないけん…もう農家の人なんか、ご飯…。立派なもんじゃないですか…。そいけん、 三分の一、ご飯を食べさせてもろうて…三分の一、やりよったですたい…。
稲:ご飯もね…持って来れない子もいたので…東京…
小:おりましたよ…うん。
稲:でも…ご飯はまあ…
小:戦時中はどこもそんなふうやったけんね。芋は…掘る…。田舎の人が…掘ったらね…。一里も二里も…もう乗り物に乗っていけんから…。福岡から古賀っていうところまで、結構あるんですよ…。そこまで行って…芋は…掘った茎…あれをね…農家の人に断りを言うてね…「これ棄てますか?」「はい、棄てます。肥やしにします」って…。「ならね、茎をね…少しいただけませんか」って言うて…母が頭を下げて頼むと…「ああーどうぞ、どうぞ」って…。「後始末がいらんけん。どうぞ持っていってつかんさい」って…。そやけん、ここの妹(刀川の母親のこと)ば…わたしがおんぶして…そして、また下の妹を手を引いて…ついて行きよりました…。
稲:薫(刀川の母親)さんは何番目の妹だったんですか?
小:3番目。
稲:3番目…じゃあ、その下にもいて…
小:ああー7人きょうだいですから…。
稲:5人…女の人でね。
小:女5人、男2人…7人です…。おかげで、ひとりもかけんで…元気にしとります…。

戦時中~空襲・機銃掃射】

03915
稲:あの…薫ちゃん…それこそ戦時中…赤ちゃんで…

小:うん…おんぶして学校に行きよりました…。
稲:やっぱり…毎日?
小:うん…毎日…。下のすぐの妹はね、保育園に入れられたんですよ。薫はね、入れられんから…赤ちゃんですから。
稲:4つ違いって言ってましたよね?
小:うんうん…。そりゃ、わたしたちは…大変、いろいろありましたよ…。
稲:だって、おっぱいじゃないけど…薫ちゃんの食べ物はどう…
小:結局、ミルクのできそこないみたいなもんですたい。牛乳とかヨーグルトとか…あんなと…。いまのように上等じゃないですよね。あんなのを…よう買いに行きよったですたいね…。あの頃は牛のおっぱいと馬のおっぱいとか…よう言いよりましたたいね。そうやけん、牛やら馬が糞ばして…馬車ば引いて行くじゃないですか、大通りば…。そしたら、箒持って…バケツ持って…糞拾いしよったですたい…学校から帰ってきたら。もう…ついていくとたい…馬が行くところに…。そして、バケツにいっぱい入れてくるじゃないですか…。それを今度は持って帰ってきて…乾かして…農家に売りに行くたい。すると、お金はいらんたい…。麦の一合でも米の一合でも…「よかったら替えてください」っていう感じで…。そだっけん、子ども時代は走り回りよったですばい…箒持って。持ってから…「わたしが一番」って言って…。ポテッて落ちたら、もうね…泡がフーって吹きよっとば…ガーってみんなで取り合いたい。もう…バケツ持って…。
稲:それは、だから…まだ戦争前…
小:まだ…戦争中ですね、あれは…。だけん、志免第二国民学校は…6年までですよね。 昔は…国民学校卒業生なんだけど…もう3年ぐらいで…空襲警報なんで…大変なんで…わたしは、いまでも、こまい(小さい)ですけど…子どもでも小さかったので…それで、小児麻痺の子がおったですたい…わたしの分団に…。あたしゃ…小さかばってん、分団長っていう名前がついとるから…空襲警報…警戒警報が入ると…その子を…小児麻痺の子を…ひっかろうて(担いで)逃げなんいかんですたい。そしたら、途中で空襲警報が入るわけですたい…。そしたら、田ん中、草ん中…その子ばひっかろうて、ガーって隠れなんいかんですたい。いつ、なんか落ちてくるかわからんけん…。

04137
稲:分団っていうのが…みんなのグループみたいな…いまでいうと…

小:そうです。グループで…昔は…わたしは炭鉱におったけん…炭鉱は一坑…二抗ってあるんですよね…。その…一抗?…二抗におったときに…炭鉱の長屋住まいですたいね。みなさん…もう、そのころ…炭鉱もダメなような時だったけどもね。そいけん、そこに 子どもの遊び場所…広場があったんですよ。いよいよ爆撃がバンバンきたら…「そこでみんなで一緒に死のう」って…言うて、そこに集まったこともあるんだけどね…。そのとき、なんとか、まあ…わたしも6年生…トップやったもんですけん…一番上でしょ…。そしたら、空襲やらあったら、その下の子をね…連れて逃げなんいかんですたい。分団長っていう名前ばつけてもろうとるけん…。それで、自分が責任があると思うとるけんね…その小児麻痺の子を…連れて逃げるっていうのは…自分と変わらんような子ばね…ひっかろうてね…。大きいと…あの人たちは動かんから…小児麻痺の人たちは…。だけん、食べたら、みんな身につくじゃないですか…「ブタ=(太っている)」ですよ…やっぱり。それが一番頭にあっですね…。
稲:こうやって?それとも…
小:もう、どがんでも…。なんさま、ひっかろうていかなんいかん…。わがもこまい(わたしも小さい)のに…あんまし変わらんちゃけんが…。
稲:脚が不自由っていうね…
小:そうです。小児麻痺だけん。もう、生まれつきの…人やけんね…。ばってん、他の人たちは逃げ道があるけども…その子は逃げられんからな…。分団長やから、その子を抱えて逃げる責任があるんですよ。
稲:その時代は…あれですよね…いまみたいに特別学級があるわけじゃないし…みんな、一緒にっていうね…
小:ないない…。
稲:みんな、一緒にっていうような…。学校まではどうやって来てたんですかね…
小:やっぱ…小一時間ぐらいかかりよりましたね…歩くとに…。
稲:じゃあ、一緒に…
小:うん…。一緒に行ったり…親が連れて行かれるときは親が連れていく…。帰りは 親も仕事とかしなさるけん…頼んでいくでしょ…。それが一番大変やったし…。
稲:分団長じゃ、やっぱり、その子になんかあったらねとか…
小:頭のいい、とか、なんとかじゃないですもんね。6年生の…トップにおるから、分団長っていう名前がついとるとたい…。やっぱり、それがずーっと頭にあっですね…大変だったなあっていうのはね…。泣きながら行きよったですたい…その子をかろうて…。
稲:やっぱりね…泣いてもなにしたってね…
小:でけんもん…。それは国のことやけん。どうしようもないもんねえ…。
稲:そのときは…「お国のために」っていうことも…
小:そりゃーありましたよ。それは一番ですよ…。
稲:学校でもね…そういうふうな…
小:だけん…牛の糞をひろうて、農家に持っていくともね…それは国のためですよ。農家の人に…野菜…米…たくさん作ってもらえる肥やしがなからなん…大きゅうならんじゃないですか…。だけん、農家の人のとこへ行くと…麦ご飯じゃあるけど、おにぎりして…「食べてな」っていう人もあるし…なんもくれんとこもあるよ…農家の人でも。「御手洗(みたらい)」というところがあるんだけど…農家ばっかりですたい。そこは、みんな百姓なんです…。その、御手洗が近か言うても…歩いて1時間半はかかるよね。
稲:じゃあ、学校から帰ってきても…
小:そうそう。
稲:それで…
小:学校のときも、空襲警報じゃないですかね…。
稲:だいたい、何年生ぐらいのときから空襲警報…
小:まあ、6年生になったとき…。戦争は終わりましたけんね…。終戦になったから ちょうど…6年…。

04519
稲:じゃあ…最後の昭和20年あたりですか…

小:そうね 6年ね…まあ 戦争がね…終わって…それからね、もう空襲警報もなくなって…。そしたらね、ちょっと、わたしたちも…なんていうかな…袋を作る…袋会社みたいなところに行きましたね。そして、「官庁」の判がポンと押してあるわけですたい。その「官庁」はもう邪魔だから…「官庁」の糸をほどいて…「官庁」の判が押してある中に入れるですたい…。そして、袋を作るわけですたい…米袋ば…。
稲:昔の…戦前のやつを…それが「なし」っていうことになって…
小:はいはい…。
稲:うしろを内側にいれて…
小:「官庁」という言葉をつこうてならんごつなったとですたい…そんときは。その「官庁」の印鑑を崩すとに…糸をほどいて…「官庁」を中に入れるわけたい…袋の…。そして、上は無地にするわけですたい。それに今度は…どこどこの会社の米っていうことを印刷するわけですたい。そいけん、わたしは印刷の機械…夜中まで…(指をみせる)…印刷機に、これが挟めたったい…。袋を…こう、ならしておって…。それが…いまだに曲がっとっとたい…。もう夜中まで仕事が忙しかったけん…やっぱり、12時ぐらいまで…わたし…機械ばっかり使いよったですもんね…。
稲:それは…もう仕事場に就職したっていうこと?
小:そうです。就職です。
稲:なんて名前の会社で…
小:それがね…覚えんとたい…。
稲:袋を作る会社だったんですね…
小:袋をつくる会社…。
稲:福岡だったんですね…
小:福岡です…千代町っていうところにありました。ちょうど、専売局の並びやったんですが…。もう、いまは、それこそ…全然ないね…道が広がってね。そやけん、もう…13歳であろうが60であろうが…誰でもいいったい…。人が足らんけん…。そして、今度はね、競争で…みんな、それぞれ日当でいくらだったら手抜きする人もおるじゃないですか…。それで、さばける人のために糸をほどいて…ここに、ほどいた糸をおいて…そして「官庁」のはいった袋を中さ入れ込む…。3枚とか2枚とか中に入れる…消すわけですよ。そして、今度は、それに新しい印鑑を押すんですよ。
稲:毎日、何時から何時ぐらいまで…
小:もう、朝はね、汽車が…朝は一番の汽車で行きよりましたけん。やっぱり、7時ぐらいから始まよったたいね。請けやったから…請負でした…。
稲:ああー請負だったんですね。
小:うん…。だけんね、わたしのような男勝りはね…「悪ゴロ=(不良)」やったけんね…こう…山積んであっとたい…袋がね…「官庁」の判がガーンって入っとっとば…しっかりほどいて入れ替えなんいかんですから…。どうかしたら、入っとらんとも中にはあっとですよ…。それは儲けもんですたい…請けやから。そいけん、山積んであるけん…わたしは人より朝早く行って…ガーって上さん上がって…良かとばパンパンパンパン投げて…自分のところ…場所を作っとですたい。そしたら、婆さん連中はね…上に登り切らんけん…わたしとかが積まないで、ほっといたとば…一生懸命拾って、こう…しよんなはったたい…婆さんたちは。わたしたちのような悪ゴロはね…ガーって登って、良かとば取っちゃ…ポン…ポンって…「そこを取っちゃならんぞ」っていうような感じで…。ちょうど戦争が終わった…15か…15、6だったでしょうね…。

04843
稲:ちょうど…終戦のときにね…空襲があって…激しかったでしょ…。そしたら、逃げるって大変だったと思うんだけど…そのときには…空襲警報は鳴るけど、飛行機なんか見えた?

小:飛行機はね…見たことはありますよ…飛行場のそばやけん…。
稲:じゃあ、そこに空襲だったのかしら…福岡の街は?
小:街は相当激しかったですよ…。もうね、呉服町にね、お父さんと…父親とふたりでね…あそこに…柳町は実家やもんやから…「お前も行って…見に行こう」って言ってね。 まだ戦争終わったばっかりに…行ったときにね…なんやら銀行っていってね、立派な銀行があったんですよね…。そんときに…空襲警報が入ったならば…みんな、ここに隠れようって…地下室ができたんですよ…立派な呉服町に。地下室ができたときに…鍵をかけとったら人がはいらんからって…あの辺の人たちは…お金を相当出して…地下室を作って、ここにガーンって何百人か入ったんですよ…全部即死…。
稲:なにそれ?
小:それはね…入ったとはいいよ…。鍵かけとるやないですか…その銀行は地下でしょ…上は銀行でしょ…爆撃を受けて燃えたじゃないですか…中が…その倉庫が…ぬくいじゃないですか…熱くて…上はバンバンバンバン燃えよって…。
稲:焼死したんですね…
小:そうそう…。鍵ば誰も入ってこんごつ閉めてあったばってん…そこが…上が燃えとるけん…鍵はパーになっとるですたい…。それで、出るに出られんで…何百人って即死ですよ…。それはずーっと頭にある…。見に行ったですよ…。ちゃんと線香を持っていって…お参りに行ったですよ…。みんな…部落…町内の人たちと話おうてね…。「行こう」って言うて…。「申し訳ないねえ」って言ってね…。命を助けるために、してやらしたけど、ダメになったとですたい…。
稲:そういうこともね…
小:そのあと…町内から見に行って…供養と一緒にですたいね。お塩を持って…清め塩を持って…入ったですたい…。まあ…見たときには涙ん出たですね…。子どもながらも…もう…爪のかたが、こう…。苦しいから…その中で…もがきおうて、死んじゃろうと…。
稲:ご遺体は…もう…
小:あーもう…。もう腐っとる人もおったとよ…。なかなか鍵が開かんけんね…。たいが頑丈な鍵やったんでしょうね…。
稲:だよね…かわいそうにね…
小:呉服町やったんですけどね。大きな銀行やったですたいね。そんな感じやったと思うですたいね…いま考えてみると…。

05130
稲:じゃあ、ご実家はどう…

小:うちはね、空襲のときはね…そんときは、やっぱ…焼けましたね…。炭鉱住宅なんかはね…焼いて…仮の…住宅なんかできましたね…。
稲:そこの地域ではだいたい、みんな逃げられて…焼けたけどもみたいな感じだった?
小:やっぱ、亡くなった人もおるね。逃げ方によってですたい…。
稲:それはほんとに…どうやって逃げてっていうのでね…
小:そんときにね。ここの妹(刀川の母親)とわたしのすぐの妹と三人で、父親が…「飛行場も近いし、どこに逃げようと、どうもならん」と…。「こりゃ運やから」…そいけん…うちの父親は度胸のあったですもんね。バンバン、焼夷弾とか落ちよっとにくさ…バーっと戸ば開けて…おっぽんぽんにして…「おらあ、どこで死んでも一緒なら…おらあ、このボロ家ばってん、おれの家やけん…ここで死のう」って…言うて…。父親が…うちの母親と父親が家に残って…「この家と一緒にあの世に行こうや」って…言うて…。そして、わたしと…ここの妹とすぐので…三人で…「瑞枝、お前ね…ねーちゃんやけん、薫とレイコとしっかり手をつないで、逃げれるところに逃げれ」と…。「絶対手を放しちゃならん」ということで…もう…それは、しっかり覚えていますね…。
稲:そういうふうにね…
小:それで、ここの薫も…まあ…甘えさんやったけんね…「ねーちゃん、ねーちゃん… 死ぬとき一緒やもんね」って…言うとですよね…。
稲:ああー…
小:そして、すぐの妹も「そうよ。ねーちゃんと薫と一緒に死のうな」って…。そしたらね、レイコが…すぐの妹たい…「ねーちゃん、これもね…国のためやけんね」って…「天皇陛下万歳って言うて死なないかん」って…。「国のために、わたしたちは命をささげるんよ」って…妹が言うたい…。そしたら、薫が泣きながら…「ねーちゃん、そうやもんね」って…。「死ぬとき、『天皇陛下万歳』って言うて死のうな」って…言うたい…。もう…三人でね…抱きついて泣きましたよ…。「死ぬとき一緒やな」って…。やっぱ…昔と今では違うですけんね…。もう、それから…この妹と…三人はね、いまでもね、一番仲良し…。そして、もう…ここは…妹がね…小学校に行く時は、薫はおんぶして…すぐの妹は保育園に預けられて…ここの妹は預けられんかった…。二人…お金もないし…。そいけんね、まあ…いま…娘が60なんですけど…あの子が幼稚園に行くころ…たまたま博多駅で会うたんですよ…そのときの先生と…。もうトップの先生やったけど、ええかげんの歳でね…。「あらー!」って言うて…。そいけん、薫の話ばして…「薫ちゃん、どがん?」って…。「元気?」って…。「頭から離れん」って言わす…。だけん、薫ばおんぶするでしょ…学校に行くでしょ…そして、先生は近所やけん…家が近い…。先生が…終わるまで…運動場で遊んでおくですたい。先生が…「瑞枝さん、帰るよ」って。そしたら、「はい」って言って、ついていって…そして、先生は夜の支度ばするでしょ…。そんとき、薫ばおんぶして…夜のご飯の用意ばさすたい…夜の…。
稲:あーそう…
小:偉かね…いま(「昔」の、との間違いだ思われる)の先生はね…。まあ、そういう先生ばっかりおらんけどね…。そして、わたしが…テーブルで…先生は薫ばおんぶして…料理する…わたしは、そこのテーブルで…きょうはこれ…「今日はここからここまで…この字…したんだから覚えれや」って言うて…そりゃもう…よくしてもらいました…。頭から離れんです…いまだに…。忘れきらんですたいね。いろんな先生、おったばってんね。

05514
稲:でも…そんないい先生ばっかりじゃなかったでしょ…

小:なかったですよ…もう。私なんか行ったらね…貧乏人の子やけん…習字があるときは習字道具は一個しかないっちゃから…。そいけん、妹とたまたま…妹と習字の時間が一緒のときあるじゃないですか…。そしたら、ねーちゃんが妹に貸すじゃん…かわいそうやけん…。そして、わたしがいつも…「ちゃんと時間表見てからせれ」って言うてね…男の先生がおって…。いつも棒を持ってきて、ガンってくらさるっとですよ…。昔は あぎゃん(あんなふうに)あったですもんね…。
稲:国民学校の…
小:そうです…。棒をもって、ガンってくらして…「時間表はなんのためにあるか」って…「なんの勉強しよっとか」って言うて…。たいがい、いじめられたですね…。わかっとっとですたい…時間表は見よったけん…。ばってん、妹と一緒になったら…ねーちゃんやけん、妹に貸さなんいかんでしょうが…。習字道具も一個しかないじゃなかですすか…。だけん、ねーちゃんがこらえるわけですたい…。うん…そぎゃん…

【学校の先生からの差別】

05615
稲:そういう先生は…やっぱり、そういう事情とかも…

小:あ…男の先生やけんね…わかっとってもね…そういう…あれはないよ…ない…絶対。だけんね、一回ね、むかついたけん…いつも怒らるっもんやけん…「よし…かたき討ちをなんかでしてやろう」って思って…。ちょうど、汽車の道の…三号線のところに…学校のトイレに…いまのごとはないけんね…長屋のごと、トイレがいくつもあって…。そのトイレのなかに、その男の先生が入ったですもん…。だから、何の気はなしに…こう 見よったら…「トイレに行きよるなあ」って…「クソたれ!」…って思って、にらみつけて行きよったら…ああ…裏が…昔は汲み取りだったじゃないですか…。「よし…裏に行ってやろう」って思って…なんかしようって…。「石ばぶつけてやろうか」って…なんしようかって考えて…。そしたら、竹のね…一本倒して…誰か落としていっとっとたい…農家の人が…。「よし」と思って…それば、こうして見たら…ひょこひょこ曲がるじゃないですか…。そして、葉っぱば抜いて…「何番目に入ったなあ」って思って…見とって…確認しとって…その棒ばシューっと突っ込んだですたい…びっくりさせるように突っ込んだったい…。そしたら、先生が…「誰か!」って…言いんしゃったばってん、 知らん顔しとったったい。そしたら、窓からこう見たんだろうね…「こら!お前、友永やろ!なんしゃい!」って…言いんなしゃったけん…びっくらこいて…こりゃ、くらされる(殴られる)ばいと思ったったい…。こう…肥えた先生やけん…。そやけん、こう 突っ込んでおって、押さえたところで怒られたけん、パンって放して、シャーって裸足で帰っとっとたい…わたし。学校にもなんにも、先生にもなんにも言わんで…。
稲:先生に言わないで…
小:言わんで…もう、裏から帰っとるたい…。トイレやから…裏道でしょうが…。いまのごと、真中にないっちゃけん…。そして…押さえて…したときに…竹棒…なんていうか…こうね…あの棒やもんやけん…押さえたけん…ピーって跳ねとっけん…頭から肥やしばひっかぶっとっとたい(かぶってしまった)…先生が。はねたとで…。ほいけんね…わたしは「こら!」って言われたとで…そのまま家に帰っとるわけたい…。そして、押し入れの中に隠れとったたい…。こら、「はんぱじゃない」と思って…「えらいことしたなあ」って…。あの「ブタ」のヤカベ先生がと思うとるもんやけん…隠れとったたい…。うちの母親も知らんたい…仕事に行きよるもんやけん。そして、校長先生と…また、助手の誰か先生が来とったい…二人…先生が…。そして、「今日は、お宅の瑞枝さんが頭から肥やしば先生にぶっかけとる」と…。「こういうことをしちゃならん」と…。「瑞枝さん、帰ってきとります?」…そんときは、布団の中に隠れとったたい…押し入れの中に…頭突っ込んで…。そしたら、校長先生が…「悪いていうことは聞いとった」って…。わたし、そんときもようわからんやったばってん…だいたい、「悪そうですもん」…「はんぱじゃない」って…言うわけたい…。なんでかって言うたらね…先生が 遅うしか来んときがあったとたい…。先生が、いつまっでん…職員室で話があって…あとはタバコ吸うたり、珈琲飲んだり…なんかしよっとたい…。それも、私は職員室の…板じゃない…これくらい間が空くわけね…。昔…違うけん…板張りやけん…。そこん中に潜っていって…どの先生が何を言うたかっていうことを聞きよるわけですたい。わたしが…聞いとってね…まだ先生たちの会合がありよる間に…職員室に行って…。私が先生の立つところに立って、その話をするわけですたい…みんなに。よっしゃ…いま、この先生はこうあったって…こういうふうに考えるよったいって…言うわけたい…。わたしは先生の気取で…みんなに言うわけたい…。「よっしゃあー!」って言いよるときに 先生が入ってきて…「いま、友永はなんば言いよっとや」って…。「はあ?なんば?」っていうような感じたい…。「俺が今、職員室で話したことを、俺がいまからみんなに話そうと思いよっことを、お前はなんごと俺より先に話しよるか」って感じですたい…。先に聞いとるもんやけん…最後まで聞いとらんでも、だいたい聞いとるけん、それをみんなに発表するじゃないですか…先生になった気色で…。それを先生が…そのときに入ってきて…そして、捕まえられて棒でくらされたこと…何回でもある…。

10024
小::うちはね…やっぱ、お父さんがね、父親が家柄がよかったので…。大学までね、京都でお坊さんになるために行って…。それでね、「俺は士族ぞ」って…もう…飲んだらそれ!…。
稲:あーそう…。
小:子どものときから…みんなで、なんとんつくれん(なんにもならないような)、おかずば食べよっでしょ…うちの母が(父に)なんか言うでしょ…「お前!誰に向かって言いよっとや」って…。「世がようなれば、おまえは、おれの嫁になんかなれんとぞ」って…。「お前、平民じゃないか」って…。「おらあ 士族ぞ」って…。それば、ずーっと耳にたこができるごと…いつも、毎晩一杯飲んで…ばあちゃんがなんとか言うと…母がなんとか言うと…お膳がひっくりかえる…。わたしはご飯も食べんと、どれだけ逃げまくったか…。
稲:あーそう…お酒飲んだら…
小:「おれは士族ぞ」って…もう、それが口癖ね。それから、わたしはね、小さい時に…「士族ってどんだけ偉いのかなあ」って思って…。そして…柳町の父親の実家に行ったときに…なんか用事があって行ったんですよ…そんときに…「薙刀」…それから「刀」…この塀にザーって並べてあっとですよ…。「さすがちょっとが違うねって…見たことがないもんが置いてあって…」思いましたよ。
稲:それは、あの…終戦前でしょ…見たのは?
小:終戦前ですね…。
稲:燃えたかどうか…わかりませんけど…
小:いや…燃えとらんです…。だけん、もう…柳町の「こてら」っていったら、名の売れてますね…。
稲:あーそうですか…
小:一番トップの呉服屋さんやから…。前はずーっとほら…女郎屋さん、芸者さんでしょ…。バンバン売れるじゃないですか…。
稲:呉服屋さんがね…ものすごい名士だったもんね…
小:それでね、ちょっとね、うちの父親は「おれは士族。貧乏はしとるけど、ちゃんと学校も出とる」って…そりゃあ、字のうまかったですけんね…。そばってん、結局ね、どまぐれて…仕事がなくって…炭鉱に入ったわけよ。実家に帰って…「お前は…できそこないが!…うちに入れられん」と…家から勘当されて…行き場がないけん…行き場がなかったら、その日食べるのも食べられんじゃないですか…。そのころは炭鉱は、ものすごく良かったから…金も入るし…炭鉱が、さんば、さんばやったら、物貨も入るし…米の配給もあるし…。そういうことで、炭鉱しかないと思うて…。苦労知らずやから…炭鉱に入り込んだわけたい…。入り込んだけど、まあまあ、頭がよかったのね…。今度は「巻き方」っていうて…石炭を積む箱が…こう、下がっていくっとたいね…。それで 石炭を積んで…「巻き方」っていう…。それの一番トップで…仕事をしよったです…段々とね。だから、それなりね。そばってん、やっぱりね、酔っ払ろうたらね、やっぱ、もう…なんとんつくれん、棒を振り回したりね…してね…。結局、やっぱ、こう、小さいときからボンボンで育っとるけん…「おれは、お前たち平民と違うんだぞ」って、「考え方も違うんだぞ」って…。「俺に向かってなんという言葉ば言うか」とか…一杯飲んだら出るわけたい。そして、うちの母がね…もう、なんさん(とにかく)、瑞一やったけん…「瑞さん、瑞さん」ってみなさん、言いよんなさったたい…。「瑞さんが抗内の、あの入口で、いま大げんかしよっけん…。どこからか、刀ば古道具屋から買うたか知らんけど…刀をもってきて、暴れよる」と…。だけんね、あの…うちの母が「はな」やったけん…「はなちゃん、ちょっと来てよ」って言うて…。「お母さん一人じゃないけん…あんたにはお父さんは頭があがらん人やけん、瑞枝、お前も一緒に行こう」って言って…母と一緒に行ったったい…。で、ばあちゃん…「お父さん、なんていうことばしよっとね」って言うたら…「きさまが、なんごとかんごと!」…くってかかるとたい…。「女の分際で!炭鉱のこぎゃんとこに入ってくるとやない!」…言うったい。そしたら、他の人たち…わたしのことを…ものすごく、かわいがりよっとば知っとらすけん…「みずちゃん、お前が行って…お母さん、ああしとると叩かるっけんね。お前が行け…おまえば叩くか、俺たちが見とっけん」って言うて。わたしが「とうちゃん!なんしよっと!」って…「ケンカなんかいかんべよ。はよう帰ろうや」って…。そしたら…刀でん棒でん、ポーンって投げて…「よし!瑞枝、お前が迎えにきたら帰る」って…いうような感じだった…。
稲:娘はちょっと違ったんだね…奥さんとはね…
小:わたしは違うと…
稲:長女でね…

【母親の家出~養子に出されそうなった妹~裁判】


10500
小:うちは、ものすごーねー…話したらきりがないごとーある…。母がね、(父が)あんまり飲んで暴れるじゃないですか…。だから、母がわたしたちば置いてね…家を出たんですよ…。それで、裁判沙汰になったりね…しました…。でも、そんときも家庭…普通の裁判じゃない…。ここの妹(刀川の母親)はね、近所やったから他所にやられたんですよ…食べていかれんし…母もおらんし…赤ちゃんやったので…よちよち歩きやったけん…。近所やったけん…子どもができんけん…「もう薫ちゃんやったらかわいいし、うちにもらいたい」っていうことで…。母もおらんもんやけん…。もう…わたしは薫が大好きやったもんけん…壁の穴が、こう…節の穴がほげとる(あいている)じゃないですか…普通…昔の家は…。その節の穴から「薫は元気しとっかなあ」って…こうやって見て…。こうして見にいくですたい…その節の穴から…。「薫~」っていうと、こうして…やっと、こう、さろうて(這って)きて…「ねーちゃん」って言いよるけんね。「うん、うん」って頭ば振ってね…こうして「来い」っていうわけ。手を振って…わたしにね…。まわって入ってこいっていうわけたい…。で「またね」って…そうするうちに母が家出しとったとが帰ってきましたたい。だから、薫を貰うたうちがですよ…子どもはおらんで…ものすごう、かわいがりよんなさったわけたい…。わたしにね、「来てくれるな」って…その節穴に…穴ば詰めてしまわしたですたい。それから妹はね、夜泣きするわけですたい…。わたしに…「ねーちゃん、ねーちゃん」言うて…言うらしいったい…。そうするうちに、母が帰ってきたもんですけん…妹をとりに…訳を言うて…いままでの間、ちょっとの間だけども…みていただいて…ということだったら…向こうがね…薫ば、「絶対離さん」っていうわけたい。
稲:かわいいってね。向こうは向こうでね…
小:だいたい、おとなしい子やったもんですね…。そいけんね、なんか知らんけど、わたしは薫が大好きだったんですよ…小さいときから…。それでね、節穴から、私が、こうして見て…。するとね…一生懸命に「おいで、おいで」するとたい、わたしに…。「来い」って言うてね…。今度は、うちの母が帰ってきたので…薫ば…まあ…籍を入れたのか…そこんとこはわからんとですたいね、わたしも。よう覚えんけども、「薫ばかえして」って言うて…最後までかかったということは…籍入れたんだろうね…たぶん…
稲:あーそう…
小:そして…うちの母が帰ってきたけん…やっぱ、一応、向こうは「やらん」って言いよらすけん…「返さん」って言いよるなはるね…「もう、薫はかわいいから、やらん」っていうので…。それでね、裁判にいって…家庭裁判まで持っていかれて…ダメやったけども…。ならね、父親が…「瑞枝…おまえがね…家庭裁判には子どもも出られるから…」っていうて、そういうところようわからん…なんさま、わたし…出ました…。裁判官にね、くってかかりました…。「私の大事な妹ばね、なんで、他人の人にやらなんいかんか」って…。「どういう意味か」って…。「絶対離さん」って…。「薫ばね、あんたたちがとるならね、わたしも一緒に行きます」って…。たらね…わたしは、いろいろね、薫のこと、きょうだいのこと、いままで貧乏したこと…学校も行ってない…薫もおんぶして、学校に行った…っていうようなことをね…家庭裁判ですたいね…。それに行ったっですたい…。それで、わたしがトップに立って、話したですたい。ずっと…いままでのこと…小さい時から…。ほしたら、みんなもらい泣きして…ほいで、勝ったとです…。それで、薫ば取り戻したとです…。
稲:それ、何歳のとき?
小:あんとき…何歳やったですかな…小学校です…。
稲:それも戦前?
小:そう…。
稲:戦中…?
小:戦中…。そう…そうです。 

戦後の混乱の中で…やってきた進駐軍】

10850
稲:じゃあ、あの…戦前の…みんながそうだけど、ひもじいしね…
小:そりゃ そうですよ…
稲:ご飯食べれないにしても…いろんなことがあっても…空襲警報あったけど…どうにかこうにか生き延びて…ちょうど、その…敗戦ですけど…終戦ですか…。よく、みんなね…玉音放送って…あれなんて…どんな…? 覚えてらっしゃいます?
小:聞いたときでしょ…
稲:うん。

小:わたしの父親はね…涙ながらに聞きよりましたよ…。
稲:おうちの中にあったんですか?
小:ラジオの小さいとが…いろいろと情報を聞かんといけないけん…爆撃がどこにあった…空襲がきたり…こまーか、安い…小さな…いいのは買いきらんから…なんとか…聞こえて…ざらざら声で…。わたしは、はっきりわからんやったばってん…お父さんが「戦争負けたけんね」って…言うたら…うちの母が…「女はね」って…「戦争に負けたから、おまえらは頭を坊主にして、顔には炭つけて…男みたいにおらんと、外人から襲われる」って…。全部、坊主にされたよ…。女の子やけん…。「外人から襲われて、女の子はね…強姦される」って…。子どももなんもないって…もう負けとるから…なんされるかわからん…。言うて…頭も坊主にしたけども…みんな、「あー、坊主はおかしか」ということで、少しずつ伸ばして…しよるうちに…今度は進駐軍が上がってきたじゃないですか…。そしたら、今度はダンスが流行ったんですよ…。ダンスが流行ったら、また、わたしはね…悪ガキやもんやけん…。「よし、負けてたまるか」ってもんでくさい…。亀山から志免いうたら、かなり…炭鉱やけども…そこに…亀山にはないけど…志免というところにはダンスホールができたとです。たまたま、外人が来るんですよ…そこに。教えにっていうか…。だいぶん、のぼせて…行きましたよ、そこに。外人と踊ったりしよったです。

11048
稲:それは…仕事…してたでしょ?

小:そうそう…。それで、5時まで…夜まで仕事をするじゃないですか…。残業あっても、「残業せん(しない)」って言って断わって…ダンスホールに行くわけですたい…。亀山から志免っていうところまで、ちょっとあるですけどね…。そこまで汽車に乗って行ったり…友達が車で送ってくれたり…迎えにきてくれたり…。外人に…坊主にせなんいかんって教えられたのに、外人と一緒にダンスしよっですもん…。
稲:最初、坊主にして…なんだけど…仕事をして、進駐軍がって…最初に出会ったときのことは覚えています?
小:進駐軍と?
稲:来たとき…
小:あー、あります…。進駐軍はね、この…飛行場をね…進駐軍が全部買い取ったんですよ…。買い取ったって…押さえたんですよ…戦争に勝ったから…。うちは飛行場は近所ですけんね…。そんときに…17歳ぐらいからしか…働けんわけ…。土方仕事ですたい。もう、外人やから…全然違うから…。そんときに、現金でくれるので…。そして、たまには食パン…1枚たいね。そういうのをサービスで…働きよったら、くるっ(もらえる)…そういうところにも行きましたよ…。
稲:初めて見たんですよね、外人…
小:あー、初めて見ました。
稲:最初に…
小:それで、A…B…ということで…そういう派がわかれて…朝、朝礼があるわけですたい…。17歳ぐらいからしかダメたい…。わたしは背が小さいじゃないですか…そんとき…16かで。父親のジャンバーば着て…こう…腕ば曲げて…そして、立っとくったい…。そしたら、外人がシャーって来て…朝礼のときに。「なんごと、わたしのところに来よっしゃろうか」って見よったら…「出なさい」って…。ここ捕まえて…連れて行かれるわけ…。
稲:ここに…頭を帽子をかぶったような…
小:かぶっとってもね、連れて行かれるとたい。背が小さいから…。一生懸命、つめ立てとるとですたい…。洋服はお父さんのジャンバーば、こうしてつめば立てて…こうしとるばってん…外人がシャーって来て…ココを捕まえて、シューって…出てきて…「あなた、いくつですか?」…「17です」って言って…。「17やけん、OKやけんども…小さいけん、あんたは14歳か15歳にしかしかないと」…。「アメリカでは、あんたぐらい、こんくらいのもんは学校に行きよる」と…。「なんで、あんたにここに来るか」って…。「親に説教」って言ってね…私ばジープに乗せて、ガーって家まで連れていくわけですたい…。ほしたら、近所の人たちが「あらー、瑞枝さんな、外人に…ジープに乗って来よんなはっが…。なんごとあったちゃろうか」って言いんよなさる…。評判とたい…。A…B…C…ってなんか、わかれとっとたい…。Aでひっつかまえて…ダメ…クビになったら今度はBさんはっていくとたい…。飛行場は広いから…。もう、悪いこつばっかりしよっとたい…。金がほしいとと、現金でもらうととの…食パン一枚、アンパンいっちょもらうのが楽しみ…。
稲:そうだよね… 
小:もう、何十人って…ガーっと…。そやけん、土木仕事やからな…大きなトラックに何十人って乗るわけさ…。それからね、いっぱい乗ってね、はいりきらんでね…つこけて死んだ人もおるよ…。
稲:あーほんと…
小:車がぎゅーって曲がったときに、下になるわけですたい…。そやけん、私はそれの…
稲:圧迫されて…
小:そうそう、そうそう…。そして、落ちるわけたい…。それで何人も死なんしゃった…。それから、私はこまいけん…もう…角…。落ちらんようなところに…三角のとこに…こもうなって、しっか掴まって…。そして、背の大きい人のおったらね、その人の洋服ば知らんうちにギャーって握っておくたい…。死ぬのは一緒に…死なれんわ…誰か握って…落ちろって感じたい…。
稲:でも…そのジープで帰ってきたとき、親とかいたんですか?
小:おります…
稲:びっくりしてたでしょ?
小:あー、それはそうですよ。近所の人がバーッて見に来るわけですよ。ジープでバーッて連れて行かれるけん…。「明日から来ちゃならんぞ」って…。「はい、わかりました」って言うて、帰ってきて…明けには、また、颯爽として行くわけ…。今度は…A、Bってわかれとるじゃないですか。…今度は、違うところに入り込んで…また気をつけして…おるたい…。そしたら、また同じ人がおったときに、ここ捕まえて、「おまえ、出てこい」って。こうやって(笑)…。それも、あきもせんでね…。やっぱね、食パン貰うて…現金貰うたら…。パンを貰えるっていうのは、ものすごくうれしかったですよ…。わたしたちが仕事から帰るとき、きょうだいみんな、待っとるたい…。ここの薫やら妹やらがね…「ねーちゃん、パン!パン!」って言うてからね…。そらあ、一個か二個の食パンば、みんなで…包丁で切って…分けて、食べる…。サービスでくれるわけですたい…。

【戦時中の学校生活について~「勉強、できなかった」】

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稲:敗戦前のね…学校とかも空襲警報で、できなかったでしょ…。そしたら、なにをやってたんだろうね、そのとき、学校で…? やっぱり3年生ぐらいまでは普通に読み書きとかは…
小:もう、あんまりなかったですね…。
稲:あーなかった?
小:なかった…。
稲:軍事教練みたいなものは…?
小:あのね、一応ね、読み書きはありましたよ…。私なんか頭わるかったけんね…本読みが大嫌いだったですたい…。指されるのが…。そいけんくさ…もしも、チャって棒で指されたときに、「はい」って立たなんいかんけど…私…読むのが下手やもんだけん…漢字が出てきて読みきらんと思うたら…「頭が痛い」とかね…「腹が痛い」とか…(笑)…。先生に「また始まったね。ほんなごつ腹が痛いなら病院に連れて行くぞ」って…。「はい」…行きよった…。それで…病院に…あるじゃないですか…ちゃんとした…そこに行って、そして、看護婦さんが…「みずちゃん…なんで来た?腹が痛くなった?頭?」…「腹」…そしたらね、「腹言うたら、わからんもんなあ。『痛い痛い』って言って…病院に行かなんしようもないもんなあ」って…。よう言いよんなはって…。
稲:保健室みたいなとこ?
小:そう…保健室…。
稲:そうなんだ…みんな、なんとなくわかってて…
小:そう…そうそうそう…。もう、悪いことばっかりしよった…悪ゴロやけん…。
稲:じゃあ、あんまり読んだりとか、「嫌だなあ」って思って…
小:本?
稲:うん…
小:ありましたよ。
稲:あってね…
小:本読みが一番下手やった…。そいけんね、自分の番がくるかなって思ったとき…漢字がぽつんぽつん、あるじゃないですか…。頭の良かごたっ人にね、「ちょっと、これ…」…聞く…。そしたら、小さいと…わからんごと…つけてくれる…習字(ふりがな)ば…。
稲:読めたこともあったということ…
小:そりゃ、あるある…。そばってん、わからんときもあるたいね…。先生はもう、見とるもん…「今日は習わんやったとや」って…よう言われよった…憎まれ口ば…。
稲:あーそうなんだ。「お腹痛くなった」って言われなかったって、ね…。そしたら、(戦争が)激しくなったときに、ほんとに勉強はあんまりやらなかった…
小:なかったですよ。もう…学校に行ったら警戒警報が入るじゃないですか…。そしたら、もう、すぐにランドセルをかろうて逃げよったって言う感じですよ…。帰る途中、田んぼの中を歩かなんいかんから…途中で空襲警報になるわけですよ…。ガーンって音のしたりするけん、田の中にガーって入って。頭を隠して…。それで、田植えとかあった場合が困るわけですたい…もぐるところないもん…。麦畑とかあるところやったら、ちょっと隠れるところがあるけん…。隠れても一緒やわ…飛行機から見えるもんねえ…。
稲:まあ…上からはね… 
小:子どもだけん、そぎゃん思うだけのことたい…。

11807
稲:じゃあ、ずっとその繰り返しで…

小:そうですね…。そやけんね、私が一番、もう頭に残るのはね…あの…雪の降る日に…履きもんがなか…靴なんて…。下駄でしょ…。下駄を履いていくと、雪の降る日…滑るじゃないですか…。だけん、下駄を手にもって…裸足で行きよりました…。雪の降る日に…。
稲:じゃあ、もう、しもやけがね…
小:あーもう、そりゃ…。下駄を履いてたら、つこけるじゃないですか…途中で…。農家の人はワラジを履いて来よった人がおる…。私は炭鉱の人間やからな…なんもないから…。
稲:でも…裸足だしね…
小:よう頑張りましたよね…氷の上ば踏んで行きよったがね…。学校から帰ってきたら ボタ山に行って、石炭を拾って…そして、七輪ばおこして…石炭ば焚くじゃん…。ほして…炭鉱の長屋ですたいね…ずらーっと石炭ば焚く…七輪がずらーっと…。みな…ガラ作り…。石炭を拾ってきて。そして、学校に行く前も石炭…石炭ひらい(拾い)…。帰ってきてからも石炭ひらい…。そしたら…暗くなったら…親が働きに行っとるから…ガラを作るたんびに石炭を燃やして…ある程度、灰になる前に移して、水をかけて…ガラを作るわけたい…。
稲:じゃ、馬の糞拾いと…あと、石炭の…
小:それはもう、学校から帰ったら…。そしてね、風呂をね…炭鉱の風呂沸かしさんがおったとね…。石炭で風呂を沸かすわけ…。するとね、もう…金持ちの子はそがんこと せんとよ…。わたしたちは貧乏人やけん。そがん…石炭で…。そしたら、おじちゃんがね、私ば、もう、よう見てね…「みずちゃん、今日、また石炭ひらいに行ったや?」って言いんしゃるけん、「うん」って言うたら、「今日は行くな」って…。「なんで?」って言ったら、「お前がまた来るやろうと思うて、待っとった」って。そして、風呂を石炭で沸かすじゃないですか…ガラを作ってね…作っておいてやんなはったと…おじちゃんが…。「ガラば作ってやったけんね、これば持って帰れ」って…。なんか知らんけど、おじちゃん…ようしてくれたよ…。「お前は、きょうだい思いでね、親孝行やけん、 俺がガラを作っとってやる」って…。「なんも俺は損をせんとやけん」って…。石炭燃やして、風呂は沸くっとやから…。ガラを、ちょっと、良かとこ、とって…「これ、バケツ一杯持って帰れ」って…。一週間に一回、必ずもらいに行きよった…。
稲:やっぱり優しいっていうか…見てくれている人が…
小:うん…見とっとでしょ…。そやけん、学校に行くときもね、レイコをおんぶして、薫ば手をひいて…行きよったけん…見とっとよ、誰でも…。
稲:そうなんだね… 
小:見とっとやろうと思うよ…

【人に迷惑をかけないで、あの世に行きたい】

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稲:じゃあ、どうしても、これだけは言っておきたいとか…なんかあったら…
小:亡くなるときにですか…?
稲:じゃなくて…瑞枝さんが…
小:最後にたいね。そらあ、あろうたい…。
稲:戦争でもいいし…そのあとでもいいし…やっぱり、これだけはね…言っておきたいっていうことがあったら…なんか…

小:ないですね…。
稲:ないですか…いままで言ったことで…
小:もうね…戦争では嫌な目におうとるけんですね…。ただね…わたしが思うとは…うちも娘が一人娘なんですけども…もう、姪っ子とかなんとかは別よ…。もうね…時代が違うし…。一番心配するのはね…あの…「てっちゃん(刀川の父親)」のことですよね。それから…娘ですよね…。だけんね、なんとか…人に迷惑をかけんで…あの世に行かれるならいいかなって…思います…。
稲:ご自分がね…
小:うん…それは思います…。最後まで…お互いにね…みんなで認めて…あの世に行くならいいかなって…そらあ、「てっちゃん」な、なん思うとるかはわからんたい…。

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