今遺さなくては失われてしまう
戦後76年。沖縄戦体験者を映像化したDVD『私の沖縄戦体験から 古堅実吉~目の前に戦がやってきた』が昨年12月に完成した。
2020年10月末に沖縄に飛んだ。住民の4人に1人が死亡、住民の犠牲者が軍人の犠牲者を上回った沖縄戦。その記憶を遺すため、インタビュー撮影してDVD化し、皆さんに見ていただこうというプロジェクトを始めた。DVDを販売する旅行会社「たびせん・つなぐ」では、収益を沖縄支援につなげる。
このコロナ禍で沖縄への旅もままならず、さらに証言してくださる戦争体験者がご高齢でもあり、このままでは「沖縄戦の記憶」が失われてしまう。やむにやまれぬ気持ちだった。
収録した証言者は、91歳の古堅実吉さん。古堅さんは「命を削ってでも伝えたい」というお気持ちで証言してくださった。冒頭、沖縄本島最北端の国頭村安田の小さな集落で親と兄妹に囲まれた「暮らし」から語られる。
米軍上陸が迫る1945年3月。突然、学徒兵部隊「「鉄血勤皇隊*」に全校あげて召集された沖縄師範学校。当時、師範学校予科1年で14歳だった古堅さんが91歳となった今、多くの学友の命を奪った沖縄戦の真実を静かに語っていく。
学友の死を語ろうとして言葉に詰まり、沈黙する古堅さん。あるいは南部への敗走時に出逢った母子の悲惨な姿について「あの赤ん坊はどうしただろうか、せめて誰かに助けられていれば」と悔やみ続ける。
米軍占領下となり平和と民主主義を求めて「不屈」に闘った瀬長亀次郎。その後継者として「基地の島・沖縄」選出の衆議院議員として活躍した古堅さん。たとえば証言の中で、古堅さんが「14歳」で突然召集されたのは当時の法律でも違法だったと話す。いったん戦争になれば、巧妙に言いくるめられ誰でも捨て駒にされる。
日本には、庶民の記録がないとよく聞く。戦争をトゲのように身の内にもっていてそのまま話さずにいる日本人は多いはずだ。「記憶の記録」を撮って遺さなければならない。戦争体験を部分で切り取るのでなく、小さい頃からのライフヒストリーとしての記憶を遺す。戦争がどういう出来事だったのかは、証言者の生きざま、具体的な個人の「生活史」日常生活があって見えてくる。
古堅さんは、暮らしていた生活と「地続き」のまま心身ともに戦争に動員され、挙句の果てに、想像を絶する沖縄戦を這いまわった。沖縄戦に動員されたのは、特別な古堅少年ではなく、聞き手と同じく、ただそこで人生を送る少年だったのだ。タイトルの中の「目の前に戦がやってきた」は、古堅さんの語りの中の言葉である。
ただひたすらご本人の語りにまかせている。見る者・聞く者がご本人から直接うかがっているようであり、その語る言葉は、まるで未来の若者への伝言のように響く。
■古堅 実吉(ふるげん・さねよし)
1929年7月5日生まれ、91歳。沖縄本島北部の国頭村安田(アダ)出身。1944年沖縄師範学校予科入学。翌年3月、「鉄血勤皇隊」*に召集。戦後、関西大学法学部卒業。米軍占領下の琉球政府下で裁判所書記官、弁護士、立法院議員、沖縄人民党書記長として活躍。本土復帰後、県会議員、1990年の衆院選で日本共産党から初当選(3期)。
*鉄血勤皇隊(鉄血勤皇師範隊)とは、太平洋戦争末期において、第32軍(沖縄守備隊)の軍命によって、正式な法令によることなく、防衛召集により動員された日本軍史上初の14歳からの学徒部隊。沖縄戦において正規部隊に併合され、実際に戦争に参加し多くの戦死者を出した。
稲塚由美子(取材 / 文・写真)
企画・制作:「隣る人」工房 稲塚由美子/刀川和也
発売元:㈱たびせん・つなぐ
☎03-5577-6300 http://tabisen-tsunagu.com/
¥2,000+税