ただ、何も語らず
こうして出征していった父は、昭和20年8月15日の敗戦と共に帰ってきた。ただ、何も語らず。
娘の私には、昭和17年の日記に書いてあったという「女に生まれればよかった」という言葉が忘れられない。父が無意識に「女であること」を希求し続けたように思えてならないのだ。
妄想をふくらます。もとより、女性であれば戦争に行かなくて済んだということではない。つまり、遂には戦争に行き着くしかなかった、男性原理の支配するこの社会の成り立ちそのものに、疑義を抱いたということなのではないか。だが、そうだといって、誰がまともに耳を傾けて聴き、応えてくれただろうか。それはまた、父にとって決して口にしてはならない禁忌だった。父はただ、自らの血脈に沁みこんだ「男たるもの」を生き続けた。
そう、父の口癖は、「そんなこと言ったって、しょうがないじゃないか」だった。
父の沈黙は、父の身仕舞なのだ。不遜にも思う。父は自らの意思を封印し、認知症になることを選びとったのではないか。こんな妄想を父に伝えたら、父はなんと応えるだろうか。
稲塚由美子(「隣る人」工房)
【追記】
以下、同窓会誌『大東亜』に篠崎孝一郎氏が執筆していた興味深い文章も記す。
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近代戦と戦術
篠崎孝一郎
神経戦という戦争がある。近代戦は嫌でも此の神経戦を伴うものである。銃後に於ける神経の麻痺は、敏感に前線に伝わる、かくして神経戦に敗北する。神経戦と言えば耳から入るのが多い。もし電波が見えたとすれば、さぞかし空は賑やかであろう。ラジオも電波の戦争のひとつである。
近代戦において通信というものは非常に重要なものになってきた。
歴史の放送、昭和十六年十二月八日「帝国海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」は今尚私達の耳底に残っている。
欧州第二次大戦において、飛行機と無線通信は密接な関係があった。
まずドイツ空軍のロンドン空襲はドイツの二放送所からの無線連絡にも依ったし、英国の放送も利用した。
ドイツ空軍がアルデンスの森を突破してフランスに侵入し、アミアンで大戦車戦をやった事がある。ドイツ軍の戦車は二千台、フランス軍が千六百台であったが、ドイツの偵察機が早くフランス戦車群を発見して無線報告した為に、フランス戦車群は不意を衝かれて敗北し、連合軍二百万はまんまと包囲され、フランダースの野で殲滅、残りはダンケルクから命からがら逃げ帰ったのである。
第二次欧州大戦始まるや、ドイツ軍は猛烈にポーランドを攻撃した。ポーランドは善戦したが遂に破れ、あわれポオーランド軍司令部は毎日の様にさまよい、位置を換えねばならなかった。所が位置を換えると次の日に爆撃される。落ちついて作戦も出来ない。
ドイツの第五列に依ってのみ此の様に迅速に、正確に探知出来るものであろうか。
是は第五列のみでなく司令部の出す電波に依って司令部の位置を測定して、適格なる爆撃を加えていたものである。
大東亜戦争は暫くおき、日支事変においても電波に依って方向探知をやっている。時は昭和十二年八月、上海に戦火拡がり、陸上の攻防戦まさにたけなわなる時、我が海軍機の渡洋爆撃、しかも風を衝いてどうして方向を探知したろうか。
上海の郊外に眞茹無電台が有る。この無電台が曲者で盛んに軍艦八雲撃沈というデマ放送をやっていた。此れを爆撃すればすぐ壊せる、だが事実九月中頃迄壊さなかったのである。
此れは我が渡洋爆撃機隊の方向探知の材料になったのではないかと思う。
南支那海には全然目標がない。上海で放送をしていれば、糸をさぐる様にして上海へ到着出来る。南京へ行くには揚子江が有る。つまり近代戦はいわゆる立体戦である。
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