言葉、音声、画像、動画等を駆使し、個人に光を当て、個を大切にした記録活動。表現行為を通して、時空をまたぎ、人とつながり、人と人とをつなげていくことを探求しています。

虐殺の現場 リディツェ村(チェコ)

一人ひとりの暮らしがあった

昨年(2019年)12月6日、独メルケル首相は、第二次大戦中にナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の現場、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所跡を初訪問した。加害国の首脳として犠牲者を追悼し「虐殺を行ったのはドイツ人だ。この責任に終わりはない」と演説、過去を謝罪した。人種差別や不寛容が広がる現代こそ、この明言には大きな意味がある。

You Tubeで見ることができる演説の背景には、数多くの犠牲者の、平和に暮らしていた時代の写真、写真。そこは、ビルケナウと呼ばれる第二収容所跡の奥まった所にある「サウナ」という建物の中。写真各々に「どう暮らしてきたか」が説明され、訪れた者に否応なく、自分たちと同じ人間が犠牲になったことを突きつける。

独、ポーランドに隣り合うチェコ・プラハから北西15㎞ほど行くと、リディツェという小さな村の跡地に至る。

チェコ・リディツェ村

1942年6月10日、ナチス政権での警察権力を一手に掌握し、「ユダヤ人問題の最終解決」を決めたといわれるラインハルト・ハイドリヒ暗殺の報復として抹殺された村である。

リディツェ村は完全に更地にさせられ、現在は平和祈念公園となっていて、入口の高台から見下ろすように村全体にかつてあった家々が浮かび上がるアクリル案内板が設置されている。家をさらに立体的に見るために「3D眼鏡貸出」もあるが、そのまま陽光の中で浮かび上がる家々に心打たれる。

リディツェ村を再現するアクリル案内板

村民たちは一か所に集められ、15歳以上の男性約200人は銃殺され、女性約180人はラーフェンスブリュック強制収容所に送られ、多くはチフスと過労により死亡した。子どもたち約100人のうち8名は「アーリア化に適している」と独に送られ、あとはヘウムノ強制収容所に送られ、ガス殺された者も多い。

左手には博物館が開設され、人々の暮らしを切り取った家族写真や学校のクラス写真が展示され、かつての暮らしを撮ったフィルム映像も上映されている。

家族写真
クラス写真

また、村の奥にある墓地の方角を見つめる数十もの子どもたちの群像の表情が何とも哀しい。「戦争の犠牲となった子どもたちの記念碑」である。彫刻家マリー・ウチティロワが生涯をかけて創りあげたブロンズ像で、追悼し「忘れまい」、と見る者に語りかける。

戦争の犠牲となった子どもたちの記念碑

稲塚由美子(取材 / 文・写真)

(「ふぇみん」2020年 初出)