
フリーダ・マクファデン 著
高橋知子 訳
ハヤカワ文庫 1,408円(税込)
家庭とは、究極の密室である。
作者は脳損傷を専門とする女性脳外科医でもあり、本書は、密室家庭でひそやかに支配・管理が横行し、人を狂気に追い込む恐怖が鮮やかに描かれた心理サスペンス・ミステリーだ。
ベストセラーになった本書は映画化され、2025年12月にアメリカで公開されている。
舞台は、ニューヨーク郊外の高級住宅地にあるウィンチェスター家。広い敷地にぐるりと柵がめぐらされた豪邸だ。物語は、前科持ちの主人公ミリーが、豪邸の奥さまニーナに、住み込みのハウスメイドとして雇われるところから始まる。
だが、メイド部屋は細い階段を上った屋根裏部屋。窓は小さく一つだけで開かない。さらに、扉の鍵が「外側」に付けられていた! 扉の内側には引っ搔いたような傷がある。ウィンチェスター家は何かおかしい。
しかも初めは優しくみえたニーナは、家の中は汚し放題で精神的に不安定。精神病院に入院していたこともあるという。娘のセシリアも嘘をつく。それでも、前科持ちのミリーは、やっとのことでありついた職を辞めるわけにはいかなかった。
それに比べてニーナの夫アンドリューはいつもやさしく、ミリーをかばってくれた。しかもハンサムで裕福で働き者ときて、ミリーは彼に惹かれていく。なぜこれほどの男性がニーナのような妻に我慢していられるのだろう?
ある日、ニーナとセシリアが泊りがけで出かけた日に、ミリーは憧れのアンドリューと結ばれる。夢見心地のミリーだったが、すべてを知ったニーナはアンドリューに暴言暴力の限りを尽くした挙句、彼から離婚を切り出され、セシリアを連れて家から出て行った。これで屋根裏部屋とおさらばし、ふかふかのベッドでアンドリューと眠れる! そう思ったミリーが屋根裏部屋で目覚めた朝、扉には外から鍵がかかっていた。
誰が? そしてなぜ?
本書は宮部みゆきが大絶賛をしたというほど驚きのどんでん返しがいくつも仕組まれている。これまで書いたあらすじは「第一部」に過ぎない。この後「第二部」「第三部」とまったく予想できない恐怖と衝撃の展開が待っている。家族にまつわる秘密が一つひとつ解明され、「第一部」のミリーが目にしたもの、つまりは読者が見てきたものすべてが文字通りひっくり返る。
外からは見えているようで、内側で起きていることは、誰も知らない。アンドリューの口癖の「君を守りたい」「一生守る」「君のためを思って」…そういう言説を繰り広げる人間の根底にある、人を管理・支配しようする歪んだ心根。相手の意思を無視してまで自分の思い通りにさせようとする、言うことをきかせる。その果てに折檻だ。
さらに、登場人物の背景もしっかり描きこまれている。ミリーの前科は、すべて性暴力への怒りの結果であり、本当に恐ろしいのは誰なのかを問う。
一方、アンドリューの育てられ方も壮絶だった。子どもの頃から男らしさを押し付けられ、男らしさの規範に合わないと親から折檻されたのだ。
これは大人の寓話。ラスト三行、女性たちの連帯が大いなる救いだった。圧巻だ。
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準国家公務員(ただし無償)の民生児童委員を20年近くやっている。ある意味、行政と家庭の間に入る緩衝材みたいなものだと解釈している。
昨今、特に熟年夫婦の離婚問題、その前のいさかい状態がかなりの頻度であらわれている。お互いの言い分は二人で話し合えない場合が多い。すれ違うのだ。「当然こうあるべき」「何でこれができない!」「こうしてほしい時にやってくれなかった」。
なかなか「お互いさまだね」で終わることはない。家父長制やら性別役割分担意識やらがお互いの血肉となって、それが無意識に日頃の言動に出てしまう。「そんなことってあるよな~」とわかっちゃえば、お互い一歩引けることもあるのかな…。
ご夫婦には歴史があるので、さまざまに引っかかっても、「あの時言えなかった」「気が付かなかった」で複雑に絡み合う。当然だが、なるようにしかならず、元さやのこともあれば、離婚の場合もある。私は、ただ話を聴くだけ。
稲塚由美子(ミステリー評論家)

「we」2026年02・03月・260号・初出