エミコ・ジーン 著

北綾子 訳

早川書房 2800円 + 税

アメリカでは、18歳までの子どもの行方不明者は年間36万人だという。彼らはどんな気持ちでいるのか、生きているのかそれとも? 本書は、現実ではほとんど伝え聞くことのできない行方不明の子どもの境遇に徹底的に寄り添った心理サスペンス・ミステリーだ。

舞台は、ワシントン州のコードウェル・ビーチ。この町に隣接する森で、2年前に行方不明になった少女エリー(当時17歳)が発見された。着衣のスウェットには血の染みがあった…。

コードウェル警察署刑事チェルシーは、エリーから事情を聴こうとするものの、彼女は行方不明当時のことは一切話そうとしなかった。何を隠している?捜査を進めるうち、エリーが誘拐されたこと、さらには着衣のスウェットが、死体で発見された別の少女のものだと判明。なぜ彼女が死んだ女の子の服を着ているのか?

エリー自身は、「性暴力対応看護師」に身体を調べられなければならなかった。「やめてって言ったら(検査を)やめてくれる?」とおずおずとエリーは言う。

マスコミも、生還したエリーに群がる。

本書は、各章交互に、主に捜査側と、本人を含む誘拐被害者側の語りで事件の全容が姿を現すように構成され、徐々につのる関係者の不安を描き出す。特にエリーの視点から語られる監禁中の物語は、緊張感と恐怖でいっぱいだ。高校の友だちと息抜きのパーティをしている時に、混んでいるトイレを避けて、真っ暗な夜に独りで戸外のトイレに行ったその時!さらに真っ暗な部屋に放置され、手探りで窓を開けてもそこには土の壁があるだけ。

一方、刑事チェルシーにも、姉リディアが数年前に失踪、両親は離婚していた。様々な情報が謎解きの伏線となり、ラスト、あっと驚く結末に回収されていく。

特筆すべきは、本筋の犯人像も、男性優位社会、白人男性優位社会のアメリカで根深く存在する、女性を自分の持ち物として支配・管理する「(ゆが)んだ」思想の持ち主として造形されていること。犯人に限らず、そうした男性の無意識の偏見が、日常の中で無神経に出てしまうシーンが、語りの途中途中に点在している。

例えば、チェルシーの同僚警官ダグラスは、エリーが行方不明になって不安でたまらない家族に向かって「エリーは帰ってきますよ。女の子っておかしなこと考えて家出するんです」と言って、家族から「娘はそんな子じゃない!」と激怒される。チェルシーも「女に生まれたというだけで、悪者のように言われる」ことにムカつく。だが、ダグラスは、形ばかり謝るだけ。

また、本書には、捜索に当たっても、警察での貧困家庭への差別があることが明記されている。失踪した少女の家庭が貧困で、少女の肌の色が濃いほど、救出のために警察が割く予算は減額されるというのだ。アメリカ社会では、被害少女が貧困であり、肌の色が濃いほど、社会の憤りは小さくなる。それは、日本でも他人ごとではない。

稲塚由美子(ミステリー評論家)

「ふぇみん」・2025年11月25日号・初出