ウィリアム・ショー 著

玉木亨 訳

新潮文庫 1100円 + 税

イギリス発、日本初紹介の作家の作品で、英国ミステリー伝統の緻密(ちみつ)な謎解きに、今のイギリスを覆う病巣(びょうそう)を描きこんだ珠玉のミステリー。

舞台はイギリス南西部ケント州、実在する海辺の町ダンジェネス。物語の主人公は離婚したシングルマザ―、捜査中にPTSDを発症して休職中のアレックス刑事だ。彼女が駅に併設されたカフェで休んでいる時、列車で結婚パーティを開いている同性婚のカップル、ティナとステラに出会う。

突然、「人殺し!」と叫んでティナにナイフを向けた女性をアレックスは取り押さえた。女性はティナの元夫の母。ティナの夫は漁船から海に転落し、行方不明で遺体はあがっていない。

一方、ダンジェネス近郊の一軒家でユニス夫妻が惨殺死体で発見され、現場には血文字が…。警察は、ユニス夫妻の近所をうろつく元軍人でPTSDに苦しむボブ・グラスを容疑者と断定した。

ダンジェネスの町に住んでいるアレックスは、住民たちを質問攻めにしていく。まるでアガサ・クリスティの小説に出てくるミス・マープルみたいに、暮らしに入り込むやり方で。

家庭の中は密室だ。DV被害者は無力化され、被害者であることも口に出せない。障害のある子どもの親亡き後を心配する親の心を誰が知っていようか。そして様々な事情に付け入る投資詐欺…彼らの落とし前を、アレックスはどうつけるのか、最後まで興味は尽きない。

主人公の魅力に加え、舞台となるダンジェネスの風景ももう一人の主人公だ。湿地帯に広がるこの町には、掘っ立て小屋のような家屋が砂浜に点在し、その奥に、核の脅威を常に感じさせる原子力発電所がそびえたつ。原発のある過疎の町。その風景が登場人物一人一人の心に(わび)しく荒涼とした影を落とす。他人事ではない。これは私たちの物語でもあった。

稲塚由美子(ミステリー評論家)

「ふぇみん」・2026年1月25日号・初出