
マシュー・リチャードソン 著
能田優 訳
1,410円 + 税 ハーパーBOOKS
戦後80年経っても、公的機密文書は存在し、非公開なものは依然非公開だ。文書に隠された「不都合な真実」とは何?そして「誰にとって」の不都合な真実なのか?
本書は、イギリスを舞台に、暴かれまいとする勢力との心理戦を描くスパイ小説ミステリーである。作者は、大学院で諜報史を専攻した現在35歳の新鋭だ。
物語の主人公は、第二次世界大戦後の諜報史学者マックス・アーチャー。冷戦時代にイギリス諜報部M16の伝説の女スパイだったスカーレット・キングから、「手記」の執筆を依頼された。彼女は、90歳はとっくに過ぎたはずだが矍鑠として、彼女が書いた手記の原本はどこかに隠し、彼にはコピーを渡す周到さ。
彼女の手記には、極秘とされてきたある作戦の詳細が描かれていた。これが出版されれば、自分は犯罪者になってしまうー私生活では離婚も間近、大学でも准教授止まりで出世も見込めないマックスは、仕方なく手記の裏取りをして自分なりの調査を始めた。
途中、マックスは、スカーレット・キングの素性に疑念を抱く。彼女は何者?
さらに、イギリス政府が隠蔽し続けてきた極秘作戦が書かれた手記を読んでしまったマックスは、必然的に国内の治安維持を担当する情報機関M15から追われるはめになる。
物語は現代が舞台のマックス絡みの章と、1940年代後半からM16に属するスカーレット絡みの章が交互に登場する。
スカーレットの章で明かされる不都合な真実の具体的な事例は超リアル。スパイオタクさながらに詳細かつ具体的だ。例えば、第2次大戦終了時、イギリスやアメリカは、優秀だが戦犯である、ナチのサディスト科学者の死亡証明書を偽造して彼らを死んだことにし、国外に移住させた上で新しい身分を与えて働かせた。その後彼らはM16に守られ、資金援助を受けながら、ほとんど大学教授の職を得たという。
中盤、スカーレットが毒物で殺され、マックスが犯人として追われることになる。ワナにかけたのは誰? ラスト、スカーレットがなぜ執筆者にマックスを選んだのか?の謎解きが待つ。
さて、本書はマックスの成長物語でもある。最初は諜報史学者とは名ばかりで、自信もなかったマックスが、尾行され監視され、尋問を受け、問答するうちにたくましく、「闇を見抜く」目を獲得していく。
アメリカCIA、イスラエルのモサド、ロシアKGBも入り乱れ、各国のスパイが暗躍する現場で、誰と誰が繋がり、どんな関係だったのか、という人間ドラマとしても非常に楽しめる。そしてその繋がりが謎を解く鍵になる、という筋立てには驚くばかりだ。特筆すべきは、ある二重スパイが、二重スパイのきっかけを問われて「ソビエトとヒトラーが手を結んだことに対する義憤から」と答えた。スパイも心ある人間。「個人の良心」で動く姿も描かれて胸が熱くなった。
稲塚由美子(ミステリー評論家)

「ふぇみん」・2025年9月25日号・初出