
マルク・ラーベ 著
酒寄進一 訳
1300円 + 税 創元推理文庫
ドイツ発、壁の崩壊後でも、徹底して東ドイツ市民を監視した秘密警察の残党が存在したとしたら…マルク・ラーベ作の本書は、刑事トム・バビロン・シリーズ第1作のサスペンス・ミステリー。
2017年、ベルリン大聖堂の丸天井の下、頭上10メートルほどの位置に、女性牧師の死体が吊り下げられていた。通報を受けて殺人現場に駆けつけた刑事トム・バビロンは、被害者の首にかけられた、カバーに「17」と刻まれた鍵に驚愕する。
19年前、トムが10代の頃仲間と共に運河を探検中に見つけた死体のそばにもその鍵と同じものがあった。鍵を持ち帰ってしまった仲間たちは、死体のことを警察に通報しなかったが、翌日なぜか死体は消え、事件として報道されることもなかった。仲間の中には、殺された女性牧師の娘カーリンもいた。その後、トムの妹ヴィオーラがその鍵を持ちだしたまま失踪する。
なぜ今、ここにある? 捜査には、19年間、妹の生存を信じて捜しまわるトムの監視役として、臨床心理士のジータも加わり、必死の捜査が始まる。やがて、カーリンの元に同じ「17の鍵」が届き、カーリンもまた失踪する。トムは、2017年の現在が1998年の過去と繋がっていると確信するのだった。
さらに、ヘーベッケ精神科病院の看護師から、女性患者の一人が壁に書くカレンダーには、毎月17の数字が欠けている、と通報があった。ジータは、かつての結核の療養所で今は廃墟として遺されている実在のベーリッツ・サナトリウムそっくりのその病院を訪ね、幽閉され退院の予定はないという患者クララと会う。果たしてクララの正体は?
一方、トムは、東ドイツの陸軍病院で子どもの健康診断をしていたという老医師の、重厚だが老朽化している家を訪ねる。旧東ドイツ地域では政府高官のための重厚に改築された家が多く遺って老朽化している。医師の健康診断とは、東ドイツが行う「犯罪」のために子どもを選別するものだった。反体制派の子どもは「強制養子縁組」させられた。ホーエンシェーンハウゼン拘置所では、女性が出産後、新生児は連れ去られ、死亡診断書に署名させられた。さらに何人かの少女は、性暴力目的で連れ去られ、ただ消えていたという。何という犯罪か! 最後に、医師はこうつぶやくのだ。「もしその組織が解散していなかったら?」と…。
全編を通して、東ドイツ時代の旧弊な悪しき制度が現代ベルリンに依然として沁みだしてくるよう。親世代は皆東ドイツ時代の暗部への秘密を抱え、子ども世代のトムらがそれに翻弄され、驚くべき結末に向かう筋立てが興味深い。
それはまた、壁崩壊後35年経っても、事件の真相の背後にうごめく旧東ドイツ政府の闇が、戦後80年が経つ現代日本での戦前への回帰を企む政治屋たちの姿と重なって見えてくるからでもある。
稲塚由美子(ミステリー評論家)

「ふぇみん」・2025年7月25日号・初出