「破砕」「破果」(岩波書店 )

 ク・ビョンモ 著

 小山内園子 訳

「破砕」:1,870円(税込)

「破果」:2,970円(税込)

アジア女性初のノーベル文学賞を受賞したハン・ガンをはじめ韓国文学界の隆盛は著しい。韓国民衆の受難の歴史が見事に埋め込まれていて感動的だ。

ミステリー界でも、日本翻訳ミステリー大賞を受賞した、老人で女性で殺し屋が主人公の異色サスペンス『破果(はか)』と、その前日(たん)破砕(はさい)』は出色の出来。2冊同時に紹介する。

『破果』の韓国語原題には、「旬を過ぎ、(いた)んだ果実」と「女性の(輝く)16歳」の二通りの意味があるとのことで、『破果』は65歳、『破砕』は十代での修業の日々が描かれる。

まず、『破砕』の舞台は山の中。麓には、「野生の熊、猪に注意」と書かれた案内板がある。主人公(チョ)(ガク)は、師匠リュウと山小屋に寝起きし、殺しのプロになるため過酷な訓練を積む。出発する時、「この車に乗ったら最後、お前の体は、一から十まで作り変えられる」と念押しされた。油断すれば、手足を縛られ、闇の中に一人置かれ、身体を蛇が()い、動けば敵とみなされ噛まれる…さらに、いきなり目を攻撃され、ナイフを突き立てられる。

だが、そこには愛の気配もあるような微妙な雰囲気が漂う。ラスト、野生の猪と三つ()(どもえ)の死闘を経て、有能な女殺し屋が誕生した。

『破果』は、その40数年後を描く。殺し屋業界でも凄腕の実力を誇っていた爪角も、65歳。まだ現役で働き続けているとはいえ、往年の身体能力も洞察力もすっかり衰えた。とぎれとぎれの記憶、敵意を向ける同業者トゥに後をつけられても気づかない鈍感さ。爪角は自らの老いに直面していく。孤高でかっこいい男の人気職業だったはずの殺し屋に、「老いた体を引きずりながら働く老女」をあてはめた物語は、かえって痛快である。

また、守るべきものは作らない徹底したプロ根性で、産んだ子はすぐに海外養子縁組のブローカーに渡し、その子の実父は殺した。「無用(ムヨン)」という名の犬がいるが、いつでも逃げられるように窓を開けている。

そんな彼女に転機が訪れた。秘密裏に傷の手当てをしてもらう病院の新任医師カン博士に心惹かれ、彼の実家の果物屋まで特定し、そこで「せいぜい4個買った果物に1個おまけを付ける」母親に会い、太陽の下で生きる地に足のついた人間の豊かさをみてしまう。自分の変化を「老化のせい」としか認識できない爪角は、冷蔵庫から「崩れてどろどろになる寸前の桃だったと思われる」残骸を見つけて泣き崩れる。

ラスト、同業者トゥが「なぜ爪角に固執(こしつ)するのか?」が明かされる。「あまりにも、人」らしさを取り戻してしまった爪角のその後はどうなる…。

殺し屋業界に限らず、誰もが認める実力者であっても、高齢であること、女性であることは日韓を問わず「弱み」のままだ。「高齢×女性」ならなおのこと。弱者に配慮をと言いながら、その一方で「生産性がない」「有用でない」と切り捨てる社会の眼差しは存在し、時には女性自身も内面化している構図は同じだ。老いの孤独と生きる意味を考えさせる胸熱のミステリーである。

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2024年12月3日韓国での突然の戒厳令発令には戦慄(せんりつ)した。あっという間に軍がヘリや装甲車で国会を急襲し、抵抗する国民に銃口を向け、すべての反対勢力は鎮圧され、新聞社やTV局は占拠され、立法・司法・行政の全県力が軍の統帥(とうすい)者に集中して国民の基本的人権などなくなってしまう。

私は1978年戒厳令下のソウルにいた。夜間は人っ子一人見かけず、漆黒の闇とあまりの静けさにぞっとしたことを覚えている。

韓国の野党国会議員が即座に国会に駆けつけ戒厳令を解除決議でき、軍事政権の非道を記憶し学習していた国民もまた、軍に決死の覚悟で身体を張って立ち向かった。民主制を死守するという韓国人の気概に胸が震えた。

また、韓国ソウルの日本大使館前「日本軍従軍「慰安婦」問題の性暴力を糾弾(きゅうだん)する「平和の少女像」前での水曜集会で、若者のダンスが躍動する。今韓国では、集会をリードしているキーワードが、20代女性、子ども連れ赤ちゃん連れ、K-POPだという。光州事件(1980年)や四、三事件(1948年)での弾圧に抗した経験もあるのだろうが、「黙らない」「他人事じゃない」と、日常をそのまま持ちこむ形で行動する。そこに希望を見る。

稲塚由美子(ミステリー評論家)

「we」2025年02・03月・254号・初出