『#ニーナに何があったのか?』(オーストラリア・オランダ・インドネシア・日本)

ダーヴラ・マクティアナン 著

田辺千幸 訳

ハーパー BOOKS 1,441円(税込)

日本初登場、アイルランド生まれ、オーストラリア在住、弁護士でもある女性作家ダーヴラ・マクティアナンのサスペンス・ミステリーである。SNS用語の(ハッシュタグ)付きのタイトルが示す通り、本書はインターネットをうまく使ったつもりが、反対に根拠のない情報が拡散され誹謗(ひぼう)中傷にさらされる恐怖の物語。実話かと思うほどのリアリティあふれた心理劇でもある。

物語は、20歳のニーナと恋人のサイモンが、サイモンの父が所有する山間の別荘で休暇を過ごすために出かけるところから始まる。数日後、帰ってきたのはサイモンだけ。携帯電話もつながらず、ニーナの両親はサイモンを問いただす。だが、別れ話になりニーナは先に帰宅しただけで、彼女は女友だちを訪ねると言っていたという。その後ニーナの姿を見た者は誰もいない…。

謎が深まるなか、バーモント州警察も動くが、ニーナの携帯電話の位置情報の確認が取れない。重大犯罪課の刑事マシューと部下の刑事サラが、サイモンに事情聴取をすると、二人が別れた理由は、ニーナに新しい恋人ができたからだという。

納得できないニーナの母リアンは、別荘に一人で向かうが不法侵入で逮捕されてしまう。警察の対応が遅いと非難するリアン。マシュー刑事は「警察に任せて自宅で待機していて」と繰り返すが、「けがをしている人間には一時間遅いだけで致命的!」と言い張るリアン。サラ刑事も、「ニーナのSNS投稿の書き方と、女友だちに送った書き方が違う」とマシューに報告する。決定的な証拠は何もないが、警察でもサイモンは何かを隠している、と疑い始める。マシュー刑事は、事態を打開するために、母リアンに、記者会見をして、テレビを利用することを提案した。リアンが娘の捜索を訴えても関心を示さなかったマスコミだが、サイモンを疑っていることをほのめかした途端、一斉にフラッシュがたかれ、質問攻めが始まる。リアンは、まるで野良犬のような彼らの姿に圧倒されたが、これで終わりではなかった。

記者会見後、ネットで記者会見の動画がものすごい勢いで拡散され、サイモンへの疑惑がささやかれ始める。すると今度はサイモンの両親が息子を守るために、レピュテーション・マネジメント(評判管理)に特化したPR会社を雇い対抗する。ニーナとサイモンの動画からニーナを(おとし)める動画を作成し、さらにニーナの家庭に問題があるから家出したと印象操作する動画まで拡散された。それはミソジニー(女嫌い)の同調を誘い、母リアンは格好の標的になった。

こうして、「サイモンが殺した」「炎上狙いの自作自演だ」「親が怪しい」などの憶測と誹謗中傷の嵐の先に…ニーナと父は血縁でない、ニーナの父は「幼児性愛者」という憶測がまことしやかに拡散され、ニーナの両親の生計の手段まで失われていく様は恐ろしい。ラスト、暴かれたのは、恐るべき真実。そして狂騒(きょうそう)の果てに追い詰められた者はある選択をする…。親の愛はどんなことでもしでかしてしまう。また反対に真実を(えぐ)り出しもする。

昨今のインターネット依存は目に余る。人は信じたいようにしか信じず、しかも匿名で(たた)く。この本はネットの功罪が噴き出す現代を、正に活写した傑作スリラーだ。

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9月25~26日、外務省・オランダ人抑留経験者招聘(しょうへい)事業により、先の大戦中、オランダ領東インド(現インドネシア)で旧日本軍に抑留された経験のあるオランダ人ら6名が訪日した。25日は中央大学でのシンポジウムでご自身の体験をじっくり話した。26日はレセプションで、私も参加して交流する機会を得た。また、日本の原爆被害者と交流し、お互いに「戦争はダメ」と語り合っている。

戦後80年、6名とも子どもの時の体験だが、80年経っても(のこ)るPTSDに苦しんでいる。Mr.Libertus Hol(リーベルト)さんは、1942年10月31日、当時の蘭領東インド・北スマトラの日本軍収容所生まれ。父は(たい)(めん)鉄道で使役され、1946年1月3日に家族と再会。彼は当時の記憶がないにも関わらず、7年半、週4回の心理療法を受けて、ひどく傷ついた子ども時代に対峙(たいじ)したという。彼は中央大学の学生たちにこう呼びかけた。

「若者たちへ 自分たちの世代よりずっといい世の中にしてください」。

稲塚由美子(ミステリー評論家)

「we」2025年12・01月・259号・初出