アンジー・キム著

服部京子訳(早川書房)

2,420円(税込)

アメリカ発だが、実際は韓国ミステリーといってもいいかもしれない。韓国人移民の繊細で微妙な心模様、または障害児をめぐる物語を描きこんだ法廷ミステリーだ。韓国からの移民で、アメリカに来てから弁護士になったという作家アンジー・キムのデビュー作である。2020年のMWA賞(アメリカ探偵作家クラブ賞)最優秀新人賞を受賞している。

舞台は、バージニア州郊外の田舎町ミラクル・クリーク。アジア系住民も移民も皆無のこの町に、韓国人のユー一家が移住してきて物語は始まる。ある日、一家が経営する高気圧酸素治療施設〈ミラクル・サブマリン〉で火災が発生。サブマリン(潜水艦)型の酸素治療装置の中で治療中だった子どもヘンリーが閉じ込められ焼死。ユー一家の娘メアリーは意識不明、父親のパクも下半身不随の重傷を負った。高気圧酸素治療法とは、通常より高い気圧の中で純酸素を提供することで、疾病や障害の治療を行う民間療法である。

警察の調べで、火災は人為的なものであることが判明。近くで煙草を吸っているところを目撃されたヘンリーの母エリザベスが逮捕された。新聞は、ヘンリーが「自閉スペクトラム症」で、エリザベスはずっと息子を排除したかったのだと書きたてた。

翌年裁判が始まる。「障害を持つ子どもの親たちの会」の母親たちの証言は、エリザベスに有利に働かなかった。なぜなら、障害を持つ子どもを育てるのに「こうでなかったら…」と思う瞬間があり、「普通」って何だ、と怒ってみたところで「普通」を希求してしまうから。「子どもを愛していても、死んでほしい、と思わず口にしてしまうことがある…」そんなショッキングな事実も提示される。実際、エリザベスがヘンリーを虐待しているのでは、と通報されたことがあった。常に子どもの状態を見ていなければならない、周りから変に思われてはいけない、と張りつめた母親の姿が(あらわ)になる。

だが、彼女は本当に子どもを亡き者にしたかったのか…。

「奇跡(ミラクル)」を期待された施設に、いったい何があったのか。弁護士は別の側面を探っていく。不妊治療に通っていた医師のマットは男のプライドからその事実を知られるのを嫌がっていた。さらにその妻でやはり韓国人移民のジャニーンは白人社会での無意識の人種差別や偏見に辟易(へきえき)していた。さらに、高気圧酸素治療法をインチキだとして、反対運動をする一派もいた。

特に、「韓国人移民」として生きることで喪失したアイデンティティを模索するユー一家それぞれの思惑がとても哀しい。その奥に韓国の根深い家父長制もあぶりだされる。関わる人たちの人生観や家族の軋轢(あつれき)、また悩みや疑惑により生じる些細(ささい)なことが次々と重なって、悲劇の連鎖を生み出していく。

不妊治療にストレスを抱える夫婦、移民への差別とその孤立、民間療法に反対する市民団体、浮かび上がるのは母親の子に対する、迷いながらも力強い愛情。多くの視点から火災事故の諸相が語られ、少しずつ生じた瑣末(さまつ)なズレが悲劇へと収斂(しゅうれん)していく筋立てに驚嘆。誰がやったのか、最後まで分からない。

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文中に出てくる「高気圧酸素治療」は、作者アンジー・キムの息子さんが難病だったので、治療法を探すうちに知ったという。息子さんのことがあるからか、障害を持つ親、特に母親の心情や行動の描写は実にリアルで、いちいち大きくうなずくばかりだった。

同じ障害を持つ子どもといっても、諸相あるというのは、自明のようでなかなか理解されない。ひとくくりにできないと思っている。

私の兄も小児まひの後遺症で、知的障害と身体障害がある。田舎の旧家の跡取りだった父は、跡取りの長男に障害があることから、友人たちとの交流を一切断った。母も、兄を「普通」の子どもに見せようと、細かく指示を出して「教育」しようとした。

だから、障害をもつ子どもと町中で会うと、必ず「うちの方がまだましだ」とか、反対に、「(うちの子は)体が動かなくてもいいから、頭がもう少しあればねえ…」と(つぶや)いたりした。

それを断罪しようとして言っているのではない。そういう心の動きがあるのだ、ということをそのまま受け取ってほしい。

稲塚由美子(ミステリー評論家)

「We」2021年 230号・初出