カリン・スローター 著

田辺千幸 訳

1491円 + 税  ハーパーBOOKS

児童養護施設で育った経歴をもつ、ジョージア州特別捜査官〈ウィル・トレント〉シリーズの最新作。シリーズ初の、アガサ・クリスティーばり密室殺人サスペンス・ミステリーである。

前作で監察医サラと結ばれたウィルが、新婚旅行で山奥の高級ロッジを訪れる。2人きりで自然を満喫しようとウィルが選んだロッジは、携帯電話も通じない場所。着いたその夜、「助けて!」の声で駆けつけたウィルは、血まみれで瀕死の女性を発見する。ロッジを経営する一族の娘マーシーだ。何度も刺されているのが見てとれる。瀕死の彼女が最後の力を振り絞り、自分の息子ジョンへの伝言をウィルに託した。

「ここにいちゃだめ、逃げて…そして彼を許し…」

なぜ逃げろと? 許すとは誰のことを? 

そして本作では、時間を(さかのぼ)り、殺人の12時間前から起こるいさかいや反目が語られていく。登場人物はマーシーの家族と素性の怪しい4組の宿泊客しかいない。犯人はこの中にいる。

折しも嵐で道路が分断され、陸の孤島となっていた。警察官であることを隠して宿泊したウィルは身分を明かして捜査を開始する。ロッジ経営の創始者は先住民の土地を奪った。略奪者の哲学は家父長制として(のこ)り、父親が他の家族を威嚇(いかく)と暴力で支配してきた。それが一族各人のトラウマとして立ち現れる。マーシーは何度も息子ジョンを連れて、一族から逃げようと試みたらしい。

さらに、マーシーの元夫デイヴは、ウィルの児童養護施設で共に育ち、ウィルに「ゴミ箱」というあだ名をつけてイジメ抜いた張本人だった。デイヴもまた里子先で性虐待を受け、施設に戻された傷を負い、生き抜くために誰かを(しいた)げるしかなかった。子どもへの性虐待がどれだけの性格破壊をもたらすか。誰もデイヴのことを気にもかけなかったのだ。その後デイヴは、マーシーが15歳の時に彼女をレイプし妊娠させた。マーシーは、その後もデイヴと関係を断つことはできなかった。息子ジョンから何度もデイヴと関係を断ってくれと懇願されても…。

性的虐待、酒とドラッグ、家族間の支配と依存など、一族の秘密が悲惨なものであることが徐々に明らかになっていく。本作は、密室殺人の謎解きだけでなく、社会問題をリアルに作品に盛り込む作者が、家族という呪縛(じゅばく)あるいは地獄をとことん描いた傑作心理劇でもあった。ラスト、切なくも(かな)しい驚きの真相が待っている。

一方、スラム街の児童養護施設で育ち、読み書き障がいもあるウィルをそれとなく心配する同僚フェイスやアマンダは、天涯孤独だと思ったウィルをあたたかく取り巻く血縁でない大人たちとして存在し、ほっとする。また、シリーズを通して彼女たちは、男社会の警察組織の中で根深いミソジニーと闘ってきた女性でもある。痛快だ。

稲塚由美子(ミステリー評論家)

 「ふぇみん」・2025年5月25日号・初出