クリス・ハマー著

山中朝晶訳

2,310円(税込) 早川書房

オーストラリア発、ジャーナリスト出身である作者のデビュー作で、英国推理作家協会賞最優秀新人賞を受賞したサスペンス・ミステリーだ。

背景には、現在も続く戦争の影響が通底音としてある。探偵役の新聞記者は、中東のガザ地区で取材中に何者かに襲われ、三日三晩車のトランクに閉じ込められていた。糞尿(ふんにょう)まみれで助け出されたその時のトラウマで仕事ができなくなった。また、メインとなる事件の犯人は、アフガニスタンからの帰還兵でPTSDに苦しんでいた…。

オーストラリア内陸の寂れた町リバーセンドの教会で、突然牧師バイロンが5人を射殺し、自身も警官に撃たれて死亡する事件が起きた。1年後、「ヘラルド」紙の記者マーティンが、事件後の町の様子を取材に訪れる。それはトラウマのリハビリとして送り出された簡単な仕事のはずだった。

だが、住民たちは、「牧師バイロンは町にも貢献し、好人物として慕われていた」と口々に言うのだ。なぜ牧師は突然銃を乱射した? 牧師の過去を探るうち、マーティンは大きく事件と関わっていく。

オーストラリアの一月は真夏。気温40℃にもなろうという砂漠に近い酷暑が続く。町には「負け犬(ブラックドッグ)」という名のモーテルしかなく、携帯の基地局も壊れたままで、携帯電話も通じない。
そんな町の取材を続けるうち、一癖も二癖もある住民たちの秘密をも探り当てることになる。

「ブックエンドカフェ」を営むシングルマザーのマンディ。彼女は決して子どもの父親を明かさない。それが憶測を生み、「父親は牧師ではないか」「まさかあの牧師が」「いや…」。はては、牧師は児童性虐待を告発される。死人に口なし、真実はどこにあるのか。そんな折、山火事が起こり、山奥の水源でドイツ人女性のバックパッカー二人の変死体が発見される。それも牧師の仕業ではないかと警察も疑い、住民も信じ始めた時、ひとりマンディが、山火事の日は牧師と一緒にいたと書いてある日記を証拠として、「犯人は別にいる」と警察に申し立てるが…。

物語は、複雑な人間関係と閉塞感を描いて進む。隠遁(いんとん)生活者、アル中のホームレス等、脇役と思われる人物一人ひとりにも焦点を当て、はては大麻栽培と売買、孤独な少年の歪みまで丁寧に描写して、読む者を町の暮らしに惹(ひ)きこむ。

主人公にはガザで襲われたトラウマが容赦なく襲いかかり、アフガニスタンの戦争犯罪者捜査のために地元警察だけでなく、オーストラリア保安情報機構の捜査官も活躍して謎の解明に当たる。そこに過熱気味の報道合戦が加わり、ラスト、すべてがつながっての謎解きは、驚嘆に値する。

その土地の風土が人間の精神を規定するのだと、作者は、土地の描写と共に、そこで育(はぐく)れた住民感情や倫理観を土台に物語を紡ぐ。本書を読むと、リバーセンドの景観が目に浮かび、そこに暮らす人々の心が生き生きと伝わってくる。

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文中、寂れた田舎町の交差点に、うなだれた兵士像が町を見下ろしている、という記述が何度も出てくる。台座には「国のために」と書かれ、死んだ地元民の名前が刻まれている。ボーア戦争、2度の世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争…。生還者も心に深い傷を負い、残された者たちもじわじわと蝕(むしば)まれていく。

アメリカは、世界中に多くの火種を残しても自国が戦場になることはない。いつでもボーダーランド(国境地方、境界地)の国が戦場にさせられる。戦争という言い方もおかしい。一方的に攻撃されて殺される「大量虐殺(ジェノサイド)」ではないか。戦後79年、未だに人間は愚かな行為を繰り返している。

2024年正月、ウクライナやパレスチナをはじめ爆音や銃声が響き、核廃絶は遠く、世界の各層では格差や分断がある。しかし、大量虐殺や災害が自分の身に降りかからない限り、遠い出来事とする自分たちがいる。無知・無関心・忘却こそが歴史を繰り返すことに繋(つな)がるというのに。

日本はNATOの同盟国でもなく、アメリカの同盟国でもない。危険なオスプレイをアメリカから買うお金で、お金と手間がかかる国際法廷に影響力を高めるために、そちらを強力に支援したらいかがか。

稲塚由美子(ミステリー評論家)

「we」2024年248号・2/3月 初出