
フォビオ・スタッシ 著
橋本 勝雄 訳
2,240円(税込) 東京創元社
イタリア発、圧倒的な「本」への愛情にあふれた文学ミステリー。探偵役の主人公が、悩める人々に読むべき本を処方する「読書セラピスト」だという設定がまず面白い。イタリアのミステリー賞シェルバネンコ賞受賞作。
物語は、元国語教師ヴィンチェ・コルソが、メンタルヘルスの問題に読書を活用する「読書セラピー」のスタジオを開いて始まる。初めての顧客は、世界に「居場所がない」感覚に悩む女性。コルソは彼女に、「作家は前向きな物語を書くべきだ」と言い続けたヘミングウェイ作『移動祝祭日』を薦めた。だが、自殺した作家の遺作を薦めたことで、彼女から「詐欺師」とののしられて終わる。
そんなある日、スタジオの階下に住むパロデイ夫人が失踪し、夫に殺人の容疑がかけられた。夫は、あることないこと近所の人間から噂されるようになり、コルソもまた、本当に夫が殺したのか、犯人はどうやって死体を消したのか、疑問に思う。コルソは読書セラピーで使う本の登場人物を分析する時のように、パロディ夫人について知ったことを詳細に記録し始めた。
近所のエミリアーノが営む本屋で、パロディ夫人は常連だったことが分かる。その本屋は今や「本を売ることもある図書館」みたいなもので、夫人が購入した本と未払いで借りている本のリストが残っていた。コルソは、リストにあった本の中で、チャンドラー作『長いお別れ』のマーロウなど、印象に残った登場人物たちを記録に加えた。さらに本の題名を書き並べてみると、少しずつ意味の通った文になり始めた。
コルソは、彼女の記録を再構成し、最後は「誠実な妻」。パロディ夫人はもしやリストを並び替えて自分の人生を語ったと考えられないか…。
コルソは、彼女の記録を再構成し、謎の正体を突き止めようとした。再度、コルソはパロディ夫人の読んだ本を読み返し、各々の本の作者の視線を通して、彼女の最後の視線を再現しようとする。失踪の前に、彼女は何を見、何を考えていたのか、何に苦しんでいたのか想像する…。
その一方、徐々にセラピーの申し込みが舞い込むようになり、コルソは実は癌に冒されて余命いくばくもない女性や、ペーパーナイフが目の前にあると、つい自分を映してしまう性癖の女性の顧客に、満足して帰ってもらえるようになった。
ついに、テヴェレ川の岸辺で遺体が発見される。長い間水中にあった遺体は見た目では身元を判別できなかったが、状況証拠から夫が殺人と死体遺棄の容疑で逮捕された。だがラスト、あっと驚く大どんでん返しが待っていた。
本の話満載のミステリーだ。謎解きも衝撃的だが、同時に、「読書セラピスト」として奮闘するコルソが非常に魅力的。失敗を繰り返し、不器用でも必死にセラピーをしようとするコルソが愛おしい。ローマの今も詳しく描写され、移民街と高級住宅地の格差が浮かび上がる。コルソお薦めの本を読み返すのも一興だ。
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二月半ば、北インド在住、インド人の夫のいる友人宅にホームステイした。
今やインドは、人口15億人に迫ろうとしており、人口はすでに世界一かもしれない。そのうち30代以下の若者人口が60%を占めるという。
インドでは憲法で差別が禁止されているが、実際の生活の中では、慣習として、人口の5%を占めるヒンズー教徒の上位カースト「バラモン」が、同84%を占めるそれ以外のカーストを支配している構図はまだまだ残っている。結婚も、同じカースト内での父親の決めた相手との結婚がほとんどとのこと。恋愛結婚もありはするが、地方では、自由恋愛をする若者を親や親族が殺してしまう「名誉殺人」もまだあるという。
人口の15%ほどの人々は1日1食だという。友人の甥は、学校の勉強は英語なので、家族でヒンズー語を話していても書くことはできない。飼い牛も野良牛も人間と共存しているのは都会でも地方でも同じである。狭い路地に大型バスと並んでトゥクトゥクも並行して走り、そこに水牛の群れが何十頭も割り込んでくるのも当たり前。大きな幹線道路脇に牛糞がずらっと干してあるのもむしろ爽快である。
インドの混沌については、ここで書ききれないが、何か新たなものを生み出してくれそうな予感がしている。
稲塚由美子(ミステリー評論家)

「we」2025年04・05月・255号・初出