ユーディト・W・タシュラー著

浅井晶子訳

集英社 2,860円(税込)

1970年代のカンボジア、ポル・ポト率いるクメール・ルージュ(カンボジア共産党)による大虐殺を逃れ、オーストリアにたどり着いたカンボジア難民の、ある秘密をめぐる心理サスペンス・ミステリー。前作『国語教師』で、ドイツ推理作家協会賞を受賞した女性作家タシュラーの最新作である。

物語は、オーストリアの田舎に暮らす小学生ヨナスの無邪気な「サプライズ」から始まった。父親の50歳の誕生日に、長く音信不通だった両親の幼なじみテヴィを、黙って招待したのだ。

だが、テヴィはただの幼なじみではなかった。ヨナスの父キムは、クメール・ルージュの大虐殺を生きのび、瀕死の少女テヴィを助けたのだ。二人はその後、難民としてオーストリアの田舎の家庭に引き取られた。やがてテヴィは家を離れ、フランスの伯母のもとで暮らすようになる。

オーストリアに残ったキムは、養育家庭の娘イネスと結婚し、ヨナスまで三人の子どもが生まれた。それでもキムは、カンボジアでの子ども時代を何も語ろうとせず、テヴィについても、子どもたちは何も知らなかった。ただ、末っ子のヨナスは、両親にとって家族同然のはずのテヴィを探し出し、誕生日のサプライズ・ゲストにしたら素敵だ、と考えたのだ。

誕生日当日、アメリカで暮らすテヴィがキムとイネス夫妻の前に現れる。ところが両親とも、子どもたちの期待通りの驚きと喜びはまったくなく、微妙に戸惑いの表情を浮かべる。しかもテヴィが、「今日はキムの本当の誕生日じゃない」と言い出し、不穏な空気が漂い始める。彼らの間に何があった? 

一見平穏な現在と凄惨な過去が交錯する群像劇だ。カンボジアでの悲惨な二つの家族の崩壊と、オーストリアでの数十年もの温かな家庭と恋愛の行方が交互に語られる。

1970年代のカンボジア。向学心に燃えた貧しい漁師の息子が、貧富の差のない理想の社会を夢見てクメール・ルージュの一員となり、やがて残虐な行為に手を染めていく。クメール・ルージュは70年代にカンボジアを支配した勢力で、恐怖政治によって共産主義化を推進したが、結果、国民の4分の1が命を奪われた。人命は軽く、個人の尊厳はないに等しかった。キムもテディも、家族を失った。

今や、テヴィは語り部として過去を語り、キムは悪夢として忘れ去ろうとしていた。だが、いつのまにかテヴィは自分の思いたいように記憶を改ざんし、キムは辛くとも真実と向き合おうとするようになる。

カンボジアからキムとテヴィを里子として受け入れたのは、祖母、母、娘、三世代の母子家庭で、彼らの軋轢(あつれき)、そして(きずな)も丁寧に描かれている。実際、作者の両親は、カンボジア難民一家を受け入れたことがあるという。

作者の祖国オーストリアは、かつてナチス政権に(くみ)した。クメール・ルージュを描きながら、作者は自国の歴史認識に対する闇をも暗示する。人がいかにたやすくイデオロギーにのみ込まれ、いったんそうなれば、社会がいかにあっけなく崩壊し、地獄と化すものか。これは今を生きる自分の物語でもある。

現在と過去を自在に行き来してのラスト、意外な事実が浮かび上がってきて、衝撃的だ。

*  *  *

私が里子として支援したベトナム人のランさんが2019年7月、ホーチミン近郊で結婚式をあげた。ランさんは8歳で両親を亡くしている。彼女の兄が自力で建てたホテルに、親戚中が集まってのベトナム伝統の結婚式だった。新郎はベトナム系アメリカ人で、結婚式には、アメリカに住む彼の両親も参列していた。お二人は、1975年、ベトナム戦争終結後、難民としてアメリカに渡った。それ以来、44年ぶりにベトナムの地を踏んだという。結婚式で隣の席に座った私に、新郎の母はそっと「ベトナムに帰れるといわれても、空港で捕まったらどうしようとずっと不安だった…」と(ささや)いた。

長い間アメリカ在住のベトナム人とベトナム政府は対立の構図で語られてきたが、1990年後半から在米ベトナム人への態度を軟化させていった。だが、国を分断しての壮絶な内戦だったのだ。44年経っても、どれだけの傷が(のこ)っていることだろう。

稲塚由美子(ミステリー評論家)

     「We」2021年 233号 初出