ハビエル・セルカス著

白川 貴子訳

2,530円(税込) 早川書房

スペイン発、80年以上前、ナチスドイツの支援を受けたフランコ反乱側と共和国側との内戦で、地域も家族も分断され、その後沈黙を強いられ続けたスペイン社会を背景にしたサスペンスミステリー。英国推理作家協会最優秀翻訳小説賞受賞作である。

舞台は、カタルーニャ自治州の中でも貧しい実在の町テラ・アルタ。そこで突然、町一番の富豪であるアデル印刷の創業者の老夫妻が、自宅で、まるで拷問の果てのような惨殺死体で発見された。誰が? なぜ?

80年以上前のスペイン内戦以降、何も起こらなかった町で起きた惨劇の捜査に当たるのは、テラ・アルタ署バレーラ署長の指揮下、サローム巡査長とコンビを組む刑事・メルチョール。

彼には、極貧の故に母が身体を売って彼を育てたという境遇に絶望し、罪を犯して刑務所に入った過去があった。だが、服役中に母が何者かに殺害されたことに加え、ユゴーの名作『レ・ミゼラブル』を読んだことが人生の転機になる。彼は、本の主人公ジャン・バルジャンよりも、警察官ジャベールに共感した。「何かに憑かれたように道義を求め、悪を忌み嫌う」態度が、母殺しの犯人を絶対に罰するというメルチョールの決意と響き合い、彼は警察官になろうと決めた。だが、犯罪歴を「消す」ために違法な手を使って警察官になったメルチョールは、秘密を抱えながら犯罪捜査に当たるのだった。

当初は強盗の犯行かと思われたが、殺害方法が理に合わず、怨恨の線も聞き込みに当たる。一代で大企業を育て上げた被害者を恨む者も大勢いるはず。社長の下で長年働いてきたグラウや娘婿のフェレらは、社長とたびたび口論していた。だが、決定的な証拠がないまま、捜査は終了と突然署長から告げられる。どこからか圧力が?

折しも、カタルーニャ州のスペインからの独立を問う住民投票が行われることが決まり、独立賛成派と反対派の間で圧力の掛け合いが始まった。片や老人たちは、スペイン内戦の話しかしない。

メルチョールは、捜査打ち切りに納得せず、ひとり捜査を続けるが、ある日、最愛の妻オルガがひき逃げされて死ぬ。これはアデル事件から手を引けという脅しだと直感した彼は、もともとの証拠から精査し、やがて、現場に残された指紋のいくつかが判読不能に「加工」されていることに気づく。警察内部に裏切り者がいる…。

最後に明らかになる真実は、死んだオルガがささやいた言葉の通りだった。「ほんとうの傷は、目に見えないもの。みんながひっそりと腹の底に抱えているもの」。虚実がないまぜになった作品でありながら、歴史の裏側に埋没された真実を読み解く傑作だと思う。

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 イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への無差別爆撃で、一般市民が犠牲になっている。米国を始め国際社会は自国のことしか考えず、足並みを揃えて戦火を止めることもできない。

2023年9月、スペイン・バスク地方のゲルニカを訪ねた。1937年、ナチスドイツ軍がゲルニカを無差別爆撃。当時、友国の仏英も不干渉政策をとった。内戦に勝利したフランコ政権は、ゲルニカの襲撃による破壊をすべて共和国軍の責任にし、70年までドイツ軍の仕業と認めなかった。

ゲルニカ平和博物館前広場の展示 世界初の都市無差別爆撃と言われている(2023年9月筆者撮影)

ゲルニカは、爆撃の3日後にはフランコ反乱軍に占領されて、痕跡はすべて消し去られた上、死者は墓石も墓碑銘もなしに共同墓地に一括埋葬され、生前の戸籍簿まで処分された。戦後は75年のフランコ死去まで長期間、独裁政権によって厳重な箝口令(かんこうれい)が敷かれた。フランコの名を口にしただけで逮捕、投獄されたという。その後も「特赦法」で独裁政権時代の弾圧の責任は問われなかった。私は74年、スペインに留学して幾人かのスペイン人と親しくなったが、誰かが「フランコが」と口にしたら、他の誰かが「シーッ」と口に指を当てた。捕まるよ、と背後を見回す彼らの眼は真剣だった。

1937年4月26日、ナチスドイツの無差別爆撃により廃墟と化したゲルニカの街「ゲルニカ平和博物館」前の展示物(2023年9月筆者撮影)

「ゲルニカ平和祈念館」のイラッチェ館長によれば、社会党の現政権になってようやく、独裁政権に加担した軍人などの墓を掘り返して、家族に渡してしまうことを進めているという。今でも人口1万4千人ほどのゲルニカの町では、口にはしないまでも、誰が独裁政権側の人間だったか、そうでなかったかの分断はあるのだという。

ピカソ作「ゲルニカ」 ピカソの信念でアメリカに渡り、フランコ独裁政権終焉後1981年にスペインに。現在、マドリッドの「国立ソフィア王妃芸術センター」に展示(2023年9月筆者撮影)

稲塚由美子(ミステリー評論家)

「we」2024年250号・6/7月 初出