シャーリイ・ジャクスン著

渡辺庸子 訳

文遊社   2500円 + 税

表紙の写真を一目見てこの本に惹き寄せられた。サンフランシスコ郊外、周囲と隔絶した住宅地を横並びに歩く少女たちの後ろ姿。同じような構図を見たことがある。ナチスドイツが席巻する時代の前夜、閉鎖的な田舎町の少女たちの後ろ姿。ドイツ映画『白いリボン』(ミヒャエル・ハネケ作2009)の一場面だ。後にその町からの若者たちはこぞってナチに(いざな)われることになるのだが、横並びに歩く少女たちの後ろ姿は、一見平和なコミュニティの欺瞞(ぎまん)を象徴していた。

作者シャーリイ・ジャクスンは、「日常にひそむ狂気」がテーマのサスペンスミステリーを書き続け、40代で早世した。この作品は70数年前のデビュー作だが、初邦訳されたことになるが、悪意を静かにはらむ物語は決して古びていない。

1940年代、カリフォルニア州カブリリョの街にあるペッパー通りの住民は、上流にはちょっと手が届かないレベルのごく普通の人に見える。門と壁がある住宅地で、壁の向こうはどこぞの金持ちの私有地だった。

12軒の家がペッパー通りに向かい合って建つ。住民たちは、自分のことを、道理をわきまえた責任感のある人間だと考えていた。だがある日、メリアム家の14歳の子どもハリエットに吃音(きつおん)が出た。そんな彼女を母は「気の持ちようよ」とイライラしながら叱る。パールマン家のマリリンは、学校でも帰宅してからも、ウィリアムズ家のヘレンの手下のように扱われていた。ドナルド家の次男トッドのことをきちんと気にかけてくれる人は一人もいなかった。両親は、出来のいい兄と比較して、トッドへの関心を失っていたのだ。ロバーツ家のドロシーは、思春期の息子二人が自分の言うことを無視すると怒り、夫は内心うんざりしながら酒に逃げる。

そして悲劇は起こった。ランサム=ジョーンズ家でのパーティからデズモンド家の娘キャロラインがいなくなった。最後に一緒にいたトッドも見当たらない。誘拐か? 夜、警察が血まみれのキャロラインを森で発見した。そばに血のついた石が…。隠れて自分の部屋で眠り込んでいたトッドは、いきなり警官に「どうやってキャロラインを殺したのか」と尋問されて仰天し、警官が部屋を出たあと、突発的にロープで首を吊ってしまう。本当にトッドの犯行なのか? 彼の服は返り血も浴びていなかったのに…。 

ラスト、何事もなかったかのように戻ってきた日常の語りの中で、まるで罪の自覚のない真相が明かされるが、それでもコミュニティは事なかれのまま。誰しもが生きづらさを感じる今の子どもたちの姿と重なって胸が痛む。

 *  *  *

2020年11月、熊本のベトナム人技能実習生リンさんが、たった一人で双子の赤ちゃんを死産した。誰にも相談できず、日本の火葬の制度さえ知らなかったリンさんを警察は逮捕起訴し、死体遺棄罪で一審有罪とされた。「現代の奴隷制度」とも言われる技能実習生。日本ではいかに外国人の人権がないかを思い知らされることになった。

リンさんは無罪を求めて控訴中で、昨年10月に弁護団、支援団体による記者会見をzoomで見た。うつむいたままベトナム語で必死に話すリンさんの横で、彼女を抱きかかえんばかりにして通訳をしたのが、ベトナムの児童養護施設「希望の村」出身で、かつて日本に留学していたゴックさんだった。

ゴックさんは、希望の村の里親集団「ふぇみんベトナムプロジェクト」の里子の一人だ。プロジェクトは里子一人に里親一人。手紙で励まし、毎年訪問して交流する。希望の村のあるダナンに相談員を置いて、卒園後の進学就職先についても支援をする。日本に留学する里子は皆で世話する。

留学生たちは、「私たち自身で子どもたちの支援をしよう」とアイデアを出し合い、月に1回、横浜で「ベトナム希望レストラン」を始めた。こんな「循環する支援」までの25年の軌跡が記念誌になった。売り上げはもちろん、支援に回る。素敵だ。

『ひろがるベトナム希望レストランー循環する支援 ベトナムの子どもたちとの25年』(ふぇみんベトナムプロジェクト25周年記念誌編集委員会編者、梨の木舎、2021年、1650円)

稲塚由美子(ミステリー評論家)

「we」2022年2/3月・236号・初出