ネヴ・マーチ著

高山真由美訳

早川書房 2,970円 (税込)

「We」誌232号で、初めてインドを舞台にしたミステリーを紹介した『ブート・バザールの少年探偵』。猥雑(わいざつ)で生気あふれる現代のインドの街と子どもたちの描写が魅力だった。

片や本書は、傷を負った主人公の眼を借りて、植民地時代のインドを活写する歴史小説としての読み応え十分な歴史冒険ミステリー。パールシー(ゾロアスター教徒)だという女性作家のデビュー作で、2021年エドガー賞最優秀新人賞候補作となった。

1892年のインド・ボンベイ(現ムンバイ)。病院で療養中の傷病兵ジム・アグニホトリは、ある日、二人の女性がボンベイにある時計塔から転落死した事件の記事に目をとめた。殺人容疑で捕まった男たちは証拠不十分で無罪放免になり、二人は自殺とされたという。世間の勝手な噂話に、(のこ)された夫アディ・フラムジーは苦しめられる。裕福なパールシーの一族の後継者である彼は、新聞に「妻と妹は別々に転落したというのに、自殺などあり得ない。だがもうそっとしてもらいたい」と投書した。騎兵連隊の生き残りのジムは、戦友を失ってなお生きる自分自身と夫アディとを重ねて心を動かされ、この事件の真相を探ろうと決意する。

退院後、ジムは新聞社の記者としてアディに会いに行く。「妻と妹は誰かに殺されたのだ」と主張するアディと意気投合したジムは、私立探偵としてアディに直接雇われ、事件の真相を探ることになるのだった…。

聞き込みを進めるうち、時計塔に不審な男がいた証言を得、しかも、その男は地方民族のランジプート藩王国の王子スレイマンの付き人らしいと分かる。元軍人のジムは、現在のパキスタンやアフガニスタンとなっている地域に潜入し、各地で大立ち回りを演じる。人々の分断を深めたセポイの反乱、地方民族(藩王国)と英国の統治者の間で敵対させられるインド人の姿、パールシー、イスラムなど混在する宗教的背景、カースト、奴隷貿易などが丁寧にこの「冒険行」に織り込まれている。

特に、辺境の地でボロくずのように売られていた少女チュトゥキや迷子少年たちとの旅は、非常に感動的。不器用だが情に厚く誠実な主人公ジムの造形が際立つ。こんなジムを支えるパールシーのフラムジー一家は、「よき考え、よき言葉、よき行いを」を家訓とし、アディと彼のもう一人の妹ダイアナともジムはそれぞれ友情と愛情を育んでいく。だが、顔を知らない英国人の父とインド人の母の間に生まれ、孤児院で神父に育てられたジム・アグニホトリという人間は、鷹揚(おうよう)なフラムジー一家でさえ「結婚」となると歓迎されなかった。事件の驚くべき真相と共に、ダイアナとの許されざるロマンスの行方についても興趣をそそる。

さらに、1892年とは、シャーロック・ホームズ『四つの署名』刊行2年後。主人公ジムは、愛読書であるシャーロック・ホームズ物語の影響を受けて、変装を駆使し、事件の手がかりを再構成することで真相を究明しようとする。各々の国にその国独特の歴史背景や文化がある。ミステリーを読むと、日本で縮こまっている自分の狭い常識が吹き飛ばされてワクワクする。

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ロシアによるウクライナ侵攻が始まって半年が過ぎた。ポーランドをはじめ、周辺諸国も避難民支援の規模縮小を始めていると聞く。
 ウクライナ人の日本語通訳のオルガさん(28歳)。キーウから4月9日にバスでポーランドへ、そこからラトビアのおばさんの家に避難したのが4月19日。彼女は、終戦になればキーウに帰りたいと希望していたが、仕事が見つからない上に、隣接するロシアの飛び地カリーニングラードが新たな火種となるかもしれないというので、家族はオルガさんに日本への避難をすすめた。日本に避難したいと彼女から連絡があったのが6月15日。爆撃開始から4カ月が経っていた…今でも夜うなされて起きることがあるという。
 ラトビアの日本大使館にビザの申請に行ったが、結局書類不備で申請ができずにいる。日本大使館で予約してビザの申請行っても、ラトビア人ばかりで日本語で話せないのだと彼女は言う。

ラトビアの日本大使館領事担当者に、私が日本から直接メールを出して訊いたら、さらにたくさんの書類を出して、それから「審査」。もちろん、本人が申請に来てくださいとの返事。

ウクライナ人のFBでは、ラトビアでは最近ビザが拒否されているケースが多く、三か月くらい経ってから申請した方がいいと言われているという。

オルガさんは、「ラトビアは親切じゃない。3か月経ったら、ポーランドに行って、ビザ申請するつもりだ」と連絡してきた。

稲塚由美子(ミステリー評論家)

 「we」2022年10/11月・240号・初出