ロス・トーマス 著
松本剛史 訳
1,100円 (税込) 新潮文庫
新潮文庫の「海外名作発掘」シリーズで、往年の巨匠ロス・トーマスの未訳作品が翻訳出版された。しかも、今や戦争指南にまで手を出す「広告代理店」が、独立間近なアフリカの国家元首選挙に暗躍するという騙し合いミステリーである。作家本人が、ナイジェリアでの大統領選挙を広告代理店に加わって担当したことがあるというのだから、面白くないはずがない。
1960年代、舞台は英国連邦からの独立を間近に控えたサハラ砂漠の西側に位置する小国アルバーティア(ナイジェリアがモデルか)。この国で行われる初の国家元首選挙を目前に控え、三人の候補者が名乗りをあげていた。
ロンドンの名だたる広告代理店DDT社の社員アップショーは、名うての選挙コンサルタント、シャルテルと共に現地に乗り込む。自社にとって有益な候補者、国民進歩党党首アコモロを当選させるためだ。だが、対抗馬二人が、一方は世界的規模のDDTのライバル社が支援し、もう一方は、CIAが裏で支援するときては、選挙戦は不利な状況だ。
そこでシャルテルは、候補者の名入りバッジやうちわを大量にばらまいたり、演説ライターが一字一句演説を創り、PR戦略を練り、対立陣営を罠にかけ、支持者を増やしていく。対抗馬二人を互いに反目させるべく、相手側がミスをしでかすような「漁夫の利」作戦はじめ裏工作も怠りなく、社交界や政界に食い込んだ。火花を散らす票争いは、相手を出し抜こうとする騙し合いへとエスカレートしていった。
これは、アフリカを植民地としてきた西欧の影響力が薄れてきたアフリカに、アメリカという資本主義国家が裏工作を仕掛け、国の実権を握っていく姿と重なる。原題(The Seersucker Whipsam)は「植民地文化のスーツの素材を着た白人施政者がやらかす騙し」というような意味で、ここまで巧妙な知力でアフリカを蹂躙するのかと思わされる。
途中、ある警察官が、シャルテルらの借りた家の私道で殺されているのが発見されるが、誰がなぜ殺したのかの謎解きが、終盤の思いもよらない大きなどんでん返しと繋がっていき、あっと驚かされる。
たとえばアフリカだけでなくミャンマーでも、一度民主主義が選択されたかと思いきや、武力による軍事政権が復活したのだ。この大どんでん返しで、民主主義の根幹をなす選挙が、民意という曖昧なものの上に成り立つ脆い制度なのだと思い知らされる。最後、主人公たちは人生の再選択を迫られる構成だが、舞台設定、小粋な会話、劇的な結末はさすが。傑作である。
* * * *
10月12日~14日、被災した能登半島の珠洲市「三崎公民館」で炊き出しを手伝い、輪島市では、先月の記録的豪雨の被害現場を歩いて回った。
公民館での炊き出しは避難した住民の方々も一緒に料理。まだ片づけられていないがれきの埃、先月の豪雨の後ますます晴れれば泥が乾いて空中に舞い、のどの痛みを訴える人がいる。のど飴あるよ、と声をかけたら、「普通ののど飴じゃ効かない」というので、スーパーすっきりのど飴を試してもらったら、「うん、いいみたい」と言ってくれた。疲労もたまり、ほこりが肺の中まで入り咳きこんでしまう。
輪島市でも、がれきの撤去はまだまだ進まず、崩壊した家屋のままの所も多い。いろんな形のパトカーによく遭うな、と思ったら、泥棒が多いので、全国から応援で来ているという。倒壊した家、「危険家屋」と白色の紙が貼られた家は多い。紙の脇に、「何月何日○○警察パトロール」と手描きのステッカーが各種貼ってある。来たことを証明しているのかもしれないが、これでは泥棒は、「この日に来たからしばらく来ない」と思わないか?
河原田川の川べりにある輪島漆会館脇に平屋の仮設住宅が数棟あったが、中は汚泥が半渇きで床や壁にこびりついていた。河原田川の堤防が地震で一部壊れ、修理しないままだったので被害が大きくなったとのこと。
奇しくもその日、武藤経済産業大臣が輪島漆会館被災状況を視察に来た。翌日が選挙告示日。まだ7割の倒壊家屋の撤去が終っていない。歩道の縁石はガタガタのまま。政府は予備費支出のみで復興予算に当てているが、足りない。一刻も早く本会議で復興補正予算を承認すべきと思う。遅い!
稲塚由美子(ミステリー評論家)
「we」2024年12・01月・253号・初出