ジェイムズ・ケストレル 著

山中朝晶 訳

早川書房 2,200円(税込)

激動の時代に犯人を追う刑事の執念、スパイ、恋愛、警察小説要素のある歴史ミステリーである。2022年度エドガー賞(アメリカ推理作家クラブ賞)受賞作。原題は「Five Decembers」(1941年から45年まで、物語のなかで5回の12月を迎える)。

しかも庶民派。というのも、徹底して巻きこまれた側の、庶民の物語なのである。私たちが「戦火を流浪する」とはどんなだろうか?「真珠湾攻撃」の12月8日。その日が歴史的転換点だなんて、庶民には少しもわからなかったかもしれない。けれど、その時そこに自分がいたら、どう思っただろうか…。

1941年、ハワイ準州(当時)のホノルル。アメリカ陸軍上がりの刑事ジョー・マグレディは、白人男性と日本人女性が惨殺された奇怪な事件の捜査を始める。やがて、被害者の白人男性は、米軍海軍大将のキンメル将軍の(おい)だと判明する。では、もう一人の被害女性の素性は? 

ウェーク島での新たな殺人事件を経て、浮かび上がった容疑者ジョン・スミスがマニラ・香港方面に向かったことを突き止めたマグレディはそれを追う。だが翌日、日本軍が真珠湾を攻撃。太平洋戦争が勃発(ぼっぱつ)する。マグレディは、日本軍からの攻撃を受けて陥落した香港で日本兵に捕らえられ、東京へと連行されるのだった。

そこで、日本人外交官の高橋寛成にかくまわれる。なぜ? 彼は、最初の殺人事件の日本人被害女性の叔父だった。彼にはもう一人、実の娘サチがいて、マグレディは彼女に日本語を教わり、結果的に日本文化を知っていくこととなる。

情勢が不安定なハワイで起きた凄惨な殺人事件の犯人を追って海を渡った刑事が、奇しくも戦禍に巻きこまれ、数々の不運に見舞われる。スケールが大きく、日本軍が真珠湾攻撃するところから始まり、香港、東京と舞台が変わっていく。ハワイで殺された人が何者なのか、なぜ殺されたのか。という謎にも戦争が深く関係していて、伏線の回収の仕方に興趣が湧く。

つくづく、戦争に勝者も敗者もないのだと考えさせられる。勝てたとしてもその代償はあまりにも大きい。ほんの少しの選択ミスが運命を大きく変えてしまう。そしてまた、時代に翻弄された主人公の、刑事マグレディの人物造形がとてもいい。主人公はアクがない。今でいう植物系男子か。皮肉や大言壮語、無用な暴力は控えめ。ひたむきで奥手な犬的性格。今どきの心優しい現代青年を彷彿(ほうふつ)とさせ、惹きつけられる。主人公の人柄を反映した理性的で抑制の効いた文章に混じる抒情(じょじょう)が心地いい。あたたかく、人への愛が感じられる物語。

また、戦前・戦中の東京の下町や香港の描写が楽しい。さらに、戦中戦後まもなく、国から国へと航空機や船で旅をするのに、現在と比べて、はるかに困難を擁する時代だったことがうかがえる。

重厚な人間ドラマにして、太平洋戦争前(真珠湾攻撃前)のハワイ、日本軍侵攻時の香港、東京大空襲、敗戦時の東京を経て、ハワイホノルルで起こった殺人事件を追い続ける執念。そのとりこになって、本書の世界観に惹きこまれ、あっという間に読み終えた。圧巻だ。

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3月4日から10日まで、シネマハウス大塚というミニシアターで、「教育」をテーマにした映画祭が行われた。チラシにはこんな呼びかけがあった。「多様性の求められる新たな社会に、日本の教育は適応しているのでしょうか?いろいろな学校の在り方、教育の在り方を考えてみませんか」。

2006年、教育基本法が改正され、「愛国心」が盛り込まれ、教育の力に「まつべきもの」が消された。強まった、子どもたちを「管理・コントロールする」力に疑義を唱えようとする映画を集めた特集上映で、『夢みる小学校』(監督:オオタヴィン、2021)、『ゆめパのじかん』(監督:重江良樹、2022)、『教育と愛国』(監督:斉加尚代、2022)、そして、「隣る人」(監督:刀川和也、企画:稲塚由美子、2011)。

上映後のトークに呼ばれてこんな話をした。教育(Education)とは、子どもたち本来持っているものをeduce=引き出す、もの。『隣る人』のラスト、「どんなむっちゃんも大好き」と言うまり子さんの(たたず)まいをこそ見て欲しい。庶民を、誰にとって、都合のいい人間にしようとしているのか、しっかり見極めたいと思う。

稲塚由美子(ミステリー評論家)

「we」2023年4/5月・243号・初出