孫 沁文 著
阿井 幸作 訳
1,254円(税込) ハヤカワ文庫
中国発、「密室の王」と称される短編ミステリー作家・孫沁文(スンチンウェン)の長編デビュー作である本書は、凝りに凝った「密室トリック」本格謎解き小説だった。しかも、横溝正史(よこみぞせいし)ばりの、田舎の因習に満ちた一族の物語が背景にあり、非常に心惹かれる。
舞台は中国屈指の大都市・上海の郊外で暮らす旧家の一族、陸(ルー)家のお屋敷。広大な敷地内には、『胎湖』と呼ばれる湖がある。その周囲の草木は、貪欲な胎児に養分を吸いつくされ、岸辺で死を待っているように見えて不気味だ。しかも陸家には、代々「女の子」が生まれないという伝説があった。
事件は、胎湖のほとりに建つ半地下の貯蔵室で、一家の当主・陸仁(ルーレン)の窒息死体が発見されて始まる。貯蔵室は大雨により数日間水没していたがなぜか床も乾いており、、誰かが侵入した形跡はない。完全な密室状態で、監察医によれば、被害者は貯蔵庫が水没中に死んだという。奇妙な点はもう一つ。人が通り抜けられないほど小さな物見窓には、「赤ん坊のへその緒」が引っかかっていた。誰が?なぜ? どのようにして貯蔵庫内の被害者を殺害した?
この「水密室」殺人事件の捜査に当たるのは、上海警察隊の刑事の梁良(リャンリャン)と、新米女性警官冷璇(ロンシュエン)のコンビである。屋敷には陸家一族と使用人、間借り人が住んでおり、外部からの侵入者は無し。関係者の聞き取りが始まったが、一介の刑事の手には密室殺人事件の謎は手に余る。
実は、切れ者刑事として名を馳せる梁良刑事には強力な協力者がいた。有名漫画家にして警察の非常勤似顔絵師として何度も警察に協力し、密室殺人事件を解決してきた安績(アンジエン)である。今回、陸家の間借り人の一人が声優の鐘可(ジャンクー)で、安績の漫画のアニメ化が企画され、そのヒロイン役に彼女が抜擢されたのだ。事件に怯える鐘可のために安績は警察に協力し、現場の様子と関係者の証言を絵に再現する手法を使ってトリックを解明してみせた。だが、犯人までは特定できない。
そして、警察をあざ笑うかのように、連続密室殺人が起こる。陸仁の甥(おい)が鍵のかかった自室で殺された…。
中国一人っ子政策終焉後も、圧倒的に男児が多い現代中国批判を、旧弊なおどろおどろしい雰囲気に託す。その一方で、声優に憧れる若者やアニメ人気、スマホでタクシーが呼べ、日本料理も美味しい上海の現在も織りこまれ、その雑多さが面白い。
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1月29日、群馬県高崎市にある県立公園「群馬の森」にあった「朝鮮人労働者追悼碑」が、県の行政代執行により撤去された。碑の正式名称は「『記憶 反省そして友好』の追悼碑」。戦後79年。自分たちの足元で起きた戦争犯罪を記録しておかなければ、無いものとして歴史から消えてしまうというのに。
そんな風潮に抗うように、『捕虜収容所・民間人抑留所事典―日本国内編―』(すいれん舎 2023年12月)が刊行された。私たちは知っていただろうか? 太平洋戦争当時、日本全国に連合国捕虜収容所と民間人抑留所が159か所あり、旧日本軍の戦争捕虜3万6千人が海外から国内へ連行され、3559人が虐待・劣悪な環境で死亡し、当時日本にいた外国人1200人が抑留されていたことを。
太平洋戦争時の外国人捕虜の実態を調べている市民団体「PОW(Prisoner of War=戦争捕虜)研究会」 (http://www.powresearch.jp)の20年以上にわたる調査・研究の成果であり、米国立公文書館の写真から、捕虜の手記、「地元」での記憶の聞きとりなど、さまざまな資料の集大成としてまとめられている。たとえば私が執筆を担当した、福井県大野市にあった通称「六呂師(ろくろし)収容所」では、道路修復に従事させられている外国人捕虜の目撃証言や、収容所跡を示す桜の木の実際の写真も掲載。詳細な地図と共に訪問者のための目印や行き方も記載され、そこに収容されていた人々の息遣いが聴こえるようで、非常に興味深い。
本事典はある意味、もはや撤去できない記憶・記録・追悼の「記念碑」的な一冊である。労作とはいえ高額なので、お近くの図書館に「購入リクエスト」をしていただけると有難い。
稲塚由美子(「隣る人」工房)
「we」2024年249号・4/5月 初出