ケイト・クイン 著

加藤洋子 訳

1,470円+税  ハーパーBOOKS

ケイト・クインの”近代史もの”第四弾は、前三作『戦場のアリス』『亡国のハントレス』『ローズ・コード』と同様、第二次世界大戦時の史実が忠実に織りこまれた、壮大な歴史サスペンス・ミステリーである。

しかも、第二次世界大戦で女性が「名誉男性」として女性がいかに消費されてきたか、そこで生き延びた女性の葛藤と希望を描くサスペンス・ミステリーの書き手として、作者は第一級。今回も女性蔑視に抗い、自分の人生を生きようともがく女性が主人公だ。

1941年、大学院生のミラ(リュドミラ)・パヴリチェンコは、ドイツのソ連侵攻を受けて軍隊に志願。狙撃学校を優秀な成績で終了した。戦場における女性は、将校の性欲処理係か衛生兵としかみなされない中、ミラは狙撃手として、劣勢の前線に送られる。日々仲間を失うな苛烈な状況にもかかわらず、ライフルを手に己の任務を遂行するミラは、凄腕の狙撃手”死の淑女(レディデス)”として知られるようになった。

1942年、ミラは戦争の鍵を握るアメリカの支援を仰ぐ広告塔として、使節団に抜擢され、米国を訪れる。ローズベルト大統領夫人エレノアと親しくなるが、その陰では密かに大統領暗殺計画が進行していた。暗殺者はミラの周囲に存在し、ミラを暗殺者に仕立て上げようと画策していた…。

前半の独ソ戦は圧巻の読み応えだ。幾晩もじっと動かず照準を合わせ続ける狙撃手ミラの息遣いが聞こえてくるようだ。


後半は、アメリカに参戦を促す使節としての活躍を描く。ミラを下に見てはばからない夫との確執、裏切りに暗殺計画が絡み、ラスト、壮絶な銃撃戦が展開される。

15歳で妊娠し、5歳になる子どもがいる大学院生のミラの人物造形が特に魅力的だ。彼女は、息子を両親に託して軍隊に志願する。初めは女ということで周囲から軽く扱われるが、狙撃の腕を認められて昇格し、自分の小隊を持つようになる。個性豊かな仲間と命をかけて闘うミラ。彼女は、女性というだけで彼女を過小評価する人間たちの度肝を抜く。

巻末の著者あとがきに、ミラのモデルとなった実在のソ連の女性狙撃手・パヴリチェンコの回想録が存在すること、その人物像と、本書に描かれた事実とフィクションを詳細に解説して、非常に興味深い。


また各章の前に、大文字(公式)の歴史と、ミラ本人の実感をした(非公式)見解が並んで提示され、これがまたリアル。女性は仕方ないこととして片づけず、作者の現代の視点で注釈をつけるか、主人公にチクリと皮肉を言わせる。

女性が駒として使われるのは、第二次大戦後も変わらなかった。女性への壁がありながら、表向き、支配も抑圧もないとされる現代社会の偽善も照射されて痛快だ。

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文中、友人とオペラ鑑賞に行った主人公が、幕間にドイツ進攻の一報を聞いて劇場を飛び出し、そのまま軍隊に志願する場面がある。子どもを守るために。こんな場合、自分は参戦するだろうか。そんなことを考えたのも、今はラトビアに避難している友人のウクライナ人オルガさん(We237~240号掲載)から、2022年2月27日に、Messengerでウクライナ大使館ホームページに掲載された外国人のボランティア部隊への勧誘サイトが送られてきたことがあるからだ。

日本のやるべきことは、停戦合意、和平への仲介しかないのは自明だが、アメリカ追随ばかりの外交力がない日本政府をどうにもできない自分を責めてしまう。戦争は「正義」や「自衛」という反論できない言葉のもとに始まる。声を出し続けなければ。

実在の女性狙撃手・パヴリチェンコは、教官として後進の指導に当たり、ソ連軍は約2千人の女性狙撃手を戦場に送り込み、生き残りは、5百名に満たないという。彼女は戦争体験によるPTSDでアルコール依存症となり、58歳で病死している。

さらに、本文エピローグで、「戦場をあさって布を集めておくこと。軍は生理用品を十分に用意してくれないから」と教えるシーンがある。スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』を思い出す。

稲塚由美子(ミステリー評論家)

「we」2023年247号・12/1月 初出