ユン・ゴウン著

カン・バンファ訳

2000円+税 早川書房

初紹介の韓国発サスペンスミステリー。

英国推理作家協会賞の最優秀翻訳小説(トランスレーション・ダガー)賞受賞作である。アジア圏のミステリー作家の受賞は、ユン・ゴウンが初めてだ。

物語は、「ジャングル」という旅行会社で、被災地をめぐる災害(ダーク)ツアーを企画する主人公コ・ヨナが、収益の低いツアーを査定するよう命じられたところから始まる。彼女は首席トラベルプログラマーだったが、徐々に閑職に追いやられていた。それでも上司から言葉巧みに背中を押され、砂漠に突然開いた穴が売りの、ベトナム沖の島「ムイ」行きツアーに参加する。

ジャングルという旅行会社のシステムは、過去にいくつもの不注意事故を起こしていた。実情を知るヨナは、噂が漏れ出ないことを不審に思ったが、会社に疑念を持つことはなかった。

ムイに着いたヨナを待っていたのは、ツアー客しか滞在しない豪華ホテル。従業員は200人いるという触れ込みだが、なぜかほとんど見当たらない。子どもたちが、「ウンダ族のアリめ、殺してやる!」と言って木の枝でアリをブスブス突き刺している…どこか不穏な空気が漂う中、ツアー最終日がやってくる。

電車で空港に向かう途中、ヨナは腹痛でトイレを探すも、なぜか全て使用中。やっと前方車両のトイレに入り出てくると、後方車両は切り離されて別方面に消えていた。ヨナは荷物も財布もパスポートもないままムイに取り残されてしまう。今いる場所の地名も読めず、誰かに聞くこともできないヨナは、初めて心細さを実感する。

ようやくホテルに戻ったヨナは、ツアーでウンダ族と紹介された女性が英語を話すのを目撃し、次第にここで行われている「とんでもないこと」に気づくが、ダークツアーの「捏造計画」に加わらざるを得なくなり…。

世界的に「ダークツーリズム」は一種のブームにもなっているが、本書では、「この冒険を通じて得られるのは、災害に対する恐怖心と同時に、自分が今生きているという確信。つまり、災害の間近まで行ったにも関わらず自分は安全だった、という利己的な慰めなのだ」と登場人物に批判させている。

誰もが感動でき、誰もが悲しめる災害の傷痕、痕跡が見られるのが災害ツアーの売りだが、それは、時間が経てば新鮮味はなくなり、商品として成り立たなくなる。だから、人為的に災害を起こしてまで商売として成り立たせようという資本主義社会の欺瞞(ぎまん)も冷徹に描かれる。

だが、それ以上に、この物語の途中で明かされる「とんでもないこと」の衝撃や、主人公を覆う理不尽な雰囲気など、不条理としかいいようのない展開には、心底ぞっとさせられた。

さらに、過去の出来事を楽しむ、つまり傍観者であるというダークツーリズムの前提があっという間に崩れ、自分が被災当事者に反転していくという恐怖。

本書は、優れたサスペンスミステリーにして、現代社会批評の寓話でもあった。圧巻だ。

稲塚由美子(ミステリー評論家)

「ふぇみん」・2024年1月25日号・初出