ディーパ・アーナパーラ著

坂本あおい訳

1,408円(税込) 早川書房

初のインド発ミステリーを紹介したい。しかも、たった今(2021年4月29日)、本書が、アメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)最優秀長篇賞を受賞したと知らせが届いた。

インドのスラム出身の男の子が知恵を駆使して難関クイズに挑戦する映画『スラムドッグ$ミリオネア』(2008年)を彷彿(ほうふつ)とさせる。「西洋から見たインド」映画だとして批判もあるが、何よりインド人自身が認めたがらない、もしくはないものとしたいインド社会の格差と残酷さを映し出していた。

物語の主人公ジャイ(9歳)は、大都市近郊のスラム地区に、両親と12歳の姉ルヌと共に暮らしている。母は、富裕層地区で家政婦をし、父は建築現場での仕事を得て、貧しいながらも一家は幸せな日々を送っていた。

ある日、同級生のバハードゥルが姿を消す。だが、バハードゥルの父は酒浸りで息子を殴るので、いつも息子は家から逃げ出し、母が家政婦の仕事から帰って食べ物にありつけるまで、人気(ひとけ)のないバザールの片隅で眠っていた。そのため、学校も警察も、そのうち帰るよ、とまともに捜査をしなかった。

TVドラマの『ポリス・パトロール』が大好きなジャイは、自分が事件を解決してみせると、親友二人を探偵の仲間に誘う。ムスリム一家の子ファイズは、誘拐は悪い霊の仕業だという。また、勉強好きで賢いパリは、ワイロを取るばかりでちっとも動かない地元警察よりも論理的に事件に立ち向かう。

こうしてジャイは少年探偵となり、犬まで連れて捜査を進めるが、事件の裏にはジャイには理解不能な邪悪な真相が隠されていた。そして、姉ルヌの姿が消えた…。

文中に「インドでは毎日180人もの子供が行方不明になる」との記述がある。これはインド生まれの作者自身が取材の中で知ったという。彼女は、ムンバイ、デリーを拠点に十数年間ジャーナリストとして、貧困や宗教問題が子どもに及ぼす影響を取材してきた。都市部では子どもが労働を強いられ、暴力や虐待を受け、犯罪組織に利用され物乞いをさせられている。トイレも、屋外で用をすまさないといけない地域もあって、レイプにおびえながら暗闇の中を通う女性も少なくない。父の暴力、家事を押しつけられる少女たち、貧しさから学校に通わせてもらえない少年、性被害、男女差別、理不尽な因習、人身売買…。

一方で、本書は一人ひとりの子どもが主役の子どもの物語である。「スラムの子どもたち」というくくりの向こうに、ジャイと仲間たちの生き生きとした顔が見え、会話には、夢や居場所、友だちへの想いがあふれる。困難な事情を抱え勉強がままならない子ども、宗教紛争で家を追われ、学校を辞めざるを得なかった子ども。それでも彼らは「犠牲者」のようには見えない。ユーモア、皮肉を駆使し、みんな生意気で、お茶目。さらに、様々な背景を持つ宗教、文化、多くの言語に文字。食文化も豊かで、屋台メシのシーンなど垂涎(すいぜん)ものだ。音とにおいと活気にあふれ、霊が潜む混沌(こんとん)のブート・バザールは素敵だ。


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2019年9月、ケニアの首都ナイロビにあるキベラスラムを訪ねた。東アフリカ最大のスラムで、百万~二百万人が住んでいる。隣りの塀の向こうは富裕層向けのゴルフ場。ナイロビの中心街にはハイタワー、とあからさまな格差の光景が広がっていた。

早川千晶さんは、ケニア在住32年、キベラスラムで「マゴソスクール」という孤児や貧困児童のための駆け込み寺を主宰している。ケニア人の友人リリアンが、子どもたちを放っておけないと、自宅で子どもたちを保護し、勉強を教えたことから始まった。今では卒業生も先生となり、その一人、オギラ先生は、勉強を教えるだけでなく、狭い自宅アパートに、15人ほど住まわせる。コロナ禍であっても、食糧の無料配布をし、子どもをレスキューする。

強制撤去はいつも突然。それでもキベラの住民は、また戻り、狭い地域で密になっても一緒に暮らす。一方で、富裕層地区の住民たちは、自分たちの使用人が毎日スラムから通っていることなど気にもしない。

「貧困層の住民にこそ手当を厚くしなければコロナの収束はのぞめないことくらい分かれ!」と、zoomでケニアの早川さんとわめき合っている。

*「マゴソスクールを支える会」http://magoso.jp/

稲塚由美子(ミステリー評論家)

「we」2021年232号・初出