オリヴィエ・トリュック 著
久山葉子 訳
創元推理文庫 各1,100円 + 税
日の沈まない夏の北極圏、北欧三国にまたがり活躍する特殊警察「トナカイ警察」の警察官コンビ、クレメットとニーナが事件を追う辺境警察ミステリー、シリーズ第二作である。なお、現実にもトナカイ警察は存在している。作者はストックホルム在住の元フランス人ジャーナリストだ。
まず冒頭で、雄大な自然が繰り広げられて圧倒される。ノルウェーの北端、北極圏に入る狼湾。海を隔てた鯨島の餌場にたどり着くために岸に押し寄せた五百頭ものトナカイの群れ。やがてリーダートナカイが覚悟を決めて飛び込むと、他のトナカイもそれに続く決死の旅。だが今回は、何かに怯えた群れが途中で島を目ざさず円を描き始めたのだ。このままでは溺死してしまう。この死の円舞を止めようと、トナカイの所有者であるサーミ人の青年エリックがボートで渦の中心に向かうのだった…。
物語の舞台は、ノルウェー沿岸の町ハンメルフェスト。町に侵入するトナカイをめぐり、トナカイ所有者と住人とのトラブルが絶えない。そんな中で起こった、トナカイ所有者エリックの事故死。
数日後、同じ湾で、かつて石油会社に関わっていた市長が死体で見つかる。普段は、トナカイ密漁や盗難を追うばかりの「トナカイ警察」の警官クレメットとニーナは必死で捜査に当たる。やがて、クレメットの叔父が撮った写真に、偶然、エリックが死亡したと同じ時間に不審な動きをする人影が写っていた。これは誰? そして何のために?
一方、沖合では、天然ガスと原油が産出され、町は石油景気に沸いていた。トナカイの放牧、移動のための広大な土地はまた、石油をめぐる利権がうずまく、外国資本、企業、不動産業者の暗躍する場所でもあった。
さらに、スウェーデンとアメリカの石油会社の代表者2人が減圧室の事故で悲惨な死を遂げた。エリックの幼馴染であるサーミ人ニルスは、腕利きの石油産業ダイバーだった。石油産業ダイバーは、深海に潜るため常に危険と隣り合わせだ。捜査の過程で、ダイバーに課せられた過酷な労働環境、後遺症などに関しても徐々に明らかになる。
捜査に当たるトナカイ警察のコンビが面白い。クレメットはサーミ人の血を引いており、祖父の代までトナカイ所有者だったが、国策でのトナカイ頭数制限で廃業せざるを得なくなった苦い経験があり、それにこだわって生きている。また北欧といっても南の地域で育ったニーナには、ほぼ一日中輝いている太陽のせいで眠れないが、元ダイバーだった父の苦悩を、捜査の進展につれて少しずつ理解していく。
このコンビが、スノーモービルで氷が解けかけた水辺や雪原を疾走し、仮野営設備の小屋に泊まり込んで捜査を続けるのだ。
何より圧巻なのは、今では「福祉国家」と呼ばれるノルウェー、スウェーデン、フィンランドが国境を接する北欧の最北端に、トナカイの放牧を文化とする先住民「サーミ人」が暮らしているという事実だ。そして彼らが先住民であった。
トナカイと生き、精霊を信仰するサーミの人々は、国策による開発や同化政策を進められ、古い歴史と新しい文明との利害の間、伝統と利権の間で引き裂かれる。それは、本書の中では、深くて哀しい殺人の動機にもつながって、胸が痛む。
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未開の地だった北極圏には、原油天然ガス、陸には貴重なレアメタルがある。実際、たとえばノルウェーは、サーモンやタラなどの海産物が有名だが、実は北海油田産出の原油や天然ガスが大きな収入源になっているという。
その分、先住民であるサーミ人の生活が脅かされる。実際スウェーデンで、鉄鉱山の開発でトナカイ放牧地の餌場が損なわれるというので、サーミ人の村が訴訟を起こし、最高裁で闘うために、かのグレタ・トゥーンベリ基金から200万クローナ(約2600万円)資金援助を受けたというので話題になった。
トナカイ放牧と餌場を求めての海を渡る様子の映像が、ノルウェー国営放送から無料で公開されている。(https://tv.nrk.no/serie/reinflytting-minutt-for-minutt)
稲塚由美子(ミステリー評論家)
「We」2021年6/7月 244号 初出