不朽の3作品を通して考える「ハンセン病とは何だったのか」~「国策としての差別」に翻弄された当事者の姿が問う日本人の理念(「福音と社会」Vol.338 / 2025年2月28日 号からの転載 ・文 / 長坂寿久)

DVDに託された「差別国策」反対の意思表示

沖縄アクション・ツアーに参加して

今回は不朽の名画3作品を通して、「ハンセン病」について考えます。私たちの国・日本で採られてきたほぼ一世紀間のハンセン病対策を前記のように振り返り、政府と市民の関係の本質を覗いてみようと思い立ちました。

2024年11月末、筆者は沖縄に行ってきました。PARC自由学校が主催する4日間の「アクション・ツアー」1)に参加したのです。沖縄・辺野古を中心に市民の基地反対運動を体験するツアーで、全国各地から総勢20名ほどが集まっていました。現地でたくさんの方々のお世話になりましたが、その誠実な反対運動への取り組みには頭が下がりました。

最初の数日は主に、奥間(おくま)政則(まさのり)さんから案内をしていただきました。辺野古新基地建設計画の現状について説明を聞き、辺野古ゲート前での座り込み行動に参加し、大浦湾では抗議船に乗って、土砂で汚されつつある海をしっかりと目視。辺野古の海に投入される土砂積み込みへの抗議行動が行われている安和桟橋での抗議行動(牛歩戦術)にも参加するなど、私にとってはまさに『貴重すぎる体験』でしたが、同時にさまざまなことを考えさせられ、問いかけられ続ける4日間となりました。

説明者・奥間政則氏には壮絶な半生があった

 

奥間政則さん / 沖縄島 大宜味村・自宅にて(左)

奥間政則さん / 辺野古の新基地建設現場を一望できる瀬嵩灯台跡展望台にて / 2023年7月撮影(右)

その間に、想定外の出来事がありました。ぎっしり詰まった行程の合間を縫って、案内役の奥間さんが私たちを、名護の国立ハンセン病療養所「愛楽園」へ連れていってくれたのです。そこで私たちは、自身の半生について淡々と語る奥間さんの言葉を、固唾(かたず)を呑んで聴くことになったのです。

「両親が定期的に愛楽園で診察を受けていたので『何か障害があるらしい』とは思っていた」と奥間さんは語り始めました。「けれど、そのことが家族の中で話題に上ることはまったくなく、自分の親がハンセン病だったこと、それゆえに苦しんでいた両親の胸中を、つい最近まで知らなかった」のだそうです。

事情を知らなかった少年期の奥間さんにとって、酒を呑むとDVを繰り返して暴れ、子どもにも強圧的に当たり散らすだけの父親は、憎悪の対象でしかありませんでした。奥間さんは母親に「何でこんな男と結婚したんだ」と悪態をつき、父親の存在が恐怖となった結果、家族にも心を閉ざすようになり、高校卒業と同時に実家を飛び出して東京へ逃れ、故郷・沖縄には寄り付こうともしませんでした。「東京ではそのために差別されることもグレることもなく、素直に青年期を過ごすことができた」と言います。

両親の懊悩への理解から「基地化拡大反対闘争」への取り組みまで

故郷に職を得て落ち着いた暮らしに恵まれて中年期を迎えた奥間さんはその頃になって初めて、両親がハンセン病であったことを知ります。偶然手にした父親の手記に、「戦争中の窮乏と栄養不足で、戦後、ハンセン病を発症した」と知ったのです。

奥間政則さんは、ハンセン病について詳しく知るため、両親が受診していた愛楽園の敷地内にある「交流館」の展示場を足繁く訪問するようになり、館内で学芸員に質問を浴びせて〈ハンセン病患者家族の実相〉を知っていきます。

ある日、学芸員に向かって自分がハンセン病家族の子どもとして生まれたこと、両親が築いた家庭の中の混乱ぶりなどを伝えていた政則さんに、学芸員が尋ねました、「あなたはもしかして“奥間”さんですか?」。この学芸員はかつて父親から聴き取り調査を行なった方で、奥間家の内実は『沖縄県ハンセン病証言集 沖縄愛楽園編』に匿名で収載されていたのです。

父親は晩年にかなりハンセン病患者家庭の懊悩(おうのう)を書き残していました。政則さんはそれらを読むことによって「父親の苦しみや想いに出会い、しかも子どもに何を残したかったのかが分かってきた」と言います。そしてその理解が、政則さん自身の思いを育み(つな)げていきます。「父親の気持ちを分かち合うことによって、両親を(ゆる)せるようになっただけでなく、両親と繋がっていく想いが溢れ出てきた」という述懐は正直なところなのでしょう。

奥間政則さん

『沖縄県ハンセン病証言集 沖縄愛楽園編』に掲載されている父の証言を示しながら語る。

父親の手記を読んでハンセン病患者の苦しみと痛みに気づいたのは2015年、奥間政則さんが50歳のときのことです。政則さんは、土木技師を生業(なりわい)としてきました。いかにも彼らしく真面目に仕事と向き合い、最先端の知見を研究し、橋梁や道路などの建設を担う――すばらしい仕事をしてきたことが察せられます。

奥間政則さん

東京で土木技師として働いていた奥間政則さん。

当時はバブルの絶頂期。現場監督を務めることも多々あったという。

かつて酒の力を借りてはDVに(はし)っていた父親の不正義を許せなかった彼が、父親と心が一つに繋がったとき、政則さんの意識は「日本政府のハンセン病政策の不正義」への気づきとなりました。奥間さんは「あらためてその不正義に強い怒りを感じました。そしてその怒りが、〈沖縄の軍事基地化拡大〉というもう一つの不正義に気づかせてくれたのです」と明かしています。

「心の遍歴」を綴ったDVDが語り掛ける強烈なメッセージ

父親の痕跡を辿ることにより、「国策でハンセン病患者を強制隔離し、断種・堕胎を行ってきた事実、今も根深く残る差別・偏見との対峙でもあった」と考える奥間さんは、「本土上陸を防ぐために沖縄を犠牲にした日本という国が、今また沖縄に基地を押し付け、“琉球弧の軍事基地化拡大”という国策で、ここに住む人々に犠牲を強いている構図は変わっていない」(後述のsDVDチラシから)と書いています。

奥間政則さんが持っている土木工学専門家としての技術と経験は、「軍事基地化反対の闘い」にとって構造的・理論的・手段的に、非常に重要な役割を担うものとなります。その知見はまたたく間に新辺野古基地建設反対闘争の中で、〈新しい重要な情報と視点とを提供する力〉となり、今や彼の存在は、基地闘争にとってなくてはならないものとなるに至っています。筆者はそのことを「アクション・ツアー」の現場で説明を聞きながら確信しました。

奥間政則さんがその半生を振り返り、新しい生き方を再発見して自分の生き方を変革するに至る“父親への旅”を描いたDVDがあります。昨年9月に制作・公刊されたばかりです。筆者も沖縄から戻ると早速、このDVDを手に入れ、じっくりと観ました。しばしば嗚咽したくなるほどの感動に襲われました。観終わって一番衝撃的だったのは、〈人間は50歳になった時点でなおこれほどに、生き方を劇的に変革しうるのだ〉というメッセージでした。奥間さんに面談した折りそのことを伝えました。一言、「人は変われるんですよ!」と答えた奥間さんの遠慮がちな微笑みを、筆者はこの先も忘れないでしょう。

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