不朽の3作品を通して考える「ハンセン病とは何だったのか」~「国策としての差別」に翻弄された当事者の姿が問う日本人の理念(「福音と社会」Vol.338 / 2025年2月28日 号からの転載 ・文 / 長坂寿久)

今も輝く『ベン・ハー』と『砂の器』の真価

“不治の業病”と刷り込まれて育った世代として

本誌に一度は「日本のハンセン病の歴史」について書かねば、と筆者は思い続けてきました。奥間政則さんのドキュメンタリー映画(DVD版)と出会ったこの機会に、本誌の読者各位には、ぜひとも日本政府が採ってきたハンセン病政策の〈取り返しのつかない失敗と誤謬〉について報告させていただきたいと思い続けていたのです。一人でも多くの皆さんに、日本政府が犯したこの過酷な“政治的大失策”と、そのために今もなお多くの方々が依然苦しんでおられる事実を、ぜひとも知っていただきたいと願う気持ちが、右のようにいささか長過ぎるレポートになりました。お赦しください。

筆者のような老齢世代が若かりし頃(幼少期~学生時代)、「癩病(らいびょう)」と呼ばれる疾病がありました。その名の中には“病気の中でも最も恐ろしい危険な病気”“最も無残な病気”のイメージが払拭しがたく擦り込まれていたものです。大人たちがそういう話をヒソヒソと話しているのを聞いて、若い年代は先入観を持たされたのでした。

“伝染病であり、身体の変形や障害が起き、決して治ることのない異様な病気”のイメージで、それゆえに罹患者(りかんしゃ)は社会から(うと)まれ、拒否され、差別され、迫害され、社会的に遺棄されて、僻地へ厳しく隔離され、脱走を監視され、出産を禁じられ、そのため断種か堕胎を強いられて――一言で表現すれば「すべての自由を剥奪され、それでも生きる姿」があったのです。

この病気の患者を出した家族は、あたかも遺伝の病気であるかのように家族全体が村八分となって迫害されたため、地域や職場や親戚にもバレないよう(おび)えながら暮らすことになりました。後遺症の大変さを誰にも訴えられず、相談もきできません。地域の医者や相談者を経由しバレてしまうからです。

官憲に知られると、当人は強制隔離され、自宅は当局の手により徹底的に清掃されるので、地域の人に分かってしまいます。そのため患者は近所や親戚に知られる前に、どこか遠くへ丁稚奉公にでも出るか、あるいは、近所には旅先で死んだかのように扱われ蟄居(ちっきょ)を余儀なくされるか、それとも、家を出て誰にも知られず放浪者として暮らすか(『放浪らい』と呼ばれた)――そんな対応を、本人自ら選ばされたのです。ハンセン病は周囲からまったく同情の余地がないと看做され、徹底的な偏見と差別に囲まれてきた病気です。

「アカデミー賞最多獲得作品」が描く「ハンセン病」に惹かれて

医学知識の乏しかった大昔には、人間のいる世界のいたる所で、癩病はそういうイメージであったらしいことが記録されています。古代中国やインド、キリスト教の聖書、日本でも8世紀の「日本書紀」や「今昔物語集」に、この病気とみられるものが記述されていると言われます。確かに「癩病」は〈人類を蝕む重篤な疫病〉として、世界中で発症しており、有史以来、“天刑”“業病”“呪い”などと忌み嫌われてきました。

話は変わりますが、筆者が「若い頃、最も感動した映画は?」と問われるときは、即座に『ベン・ハー』を挙げます。これまでにいったい何度観たことでしょうか。つい最近もテレビで上映されていました。米アカデミー賞で作品賞・監督賞を含む史上最多の11部門受賞を初めて達成した映画です。この史上最多受賞記録は、その後今日まで破られていません(ただしその後、『タイタニック』(1997年)と『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』(2003年)が11部門受賞作品となり、『ベン・ハー』に並びました)。

この作品は、「キリスト生誕の西暦一世紀初め、ローマ帝国支配下のエルサレムに生まれたユダヤの名家の息子ベン・ハー(チャールトン・ヘストン)の波乱に富んだ半生を、イエス・キリストの生涯と絡ませて描いた歴史スペクタクル大作」と、各種の映画案内には紹介されています。

ユダヤの名家の血を引く若者ベン・ハーは、親友に裏切られ無実の罪を着せられて家族と共に逮捕され、彼自身は奴隷となり船底での漕ぎ手として過酷な境遇に陥ります。苦難の末、生き残ってエルサレムの自宅へ密かに戻ってみると、家は落ちぶれ、母と妹の逮捕後の行方は(よう)として分かりません。

映画の冒頭はキリスト生誕シーンから始まります。主人公はこの映画の中で3度、イエスと直接出会います。最初は奴隷として苦しんでいるとき、その人は水を飲ませてくれます。2度目は母と妹を探しているとき。彼はイエスが高台で人々に向かって話している場(山上の垂訓)に遭遇してイエスの語ることに耳を傾け、心のやすらぎを覚えます。3度目はゴルゴダの丘へ向かって十字架を背負い階段を登っていく「十字架の道行き」の途中で出会うことになります。あまりの苦しさにキリストが倒れた瞬間、彼はこの人に一杯の水を渡そうとします。そしてそのとき彼は、この人が〈かつて自分が苦しんでいた奴隷時代に一杯の水をくれた人だ〉と気づきます。

ローマの巨大アレーナにおける四頭仕立ての二輪戦車競争を、70ミリ撮影で撮った大迫力シーンがウケて大ヒットした映画『ベン・ハー』。その二輪戦車競争で彼はユダヤ代表として宿敵メッサラと対決し、激しいぶつかり合いの末に勝利を勝ち取って一躍英雄となり、復活します。そして、母と妹が〈暗く湿った石牢に閉じ込められたまま、劣悪かつ極貧の状況下で過ごすうち(らい)(おか)されたため、癩患者が隔離されている「死の谷」の洞窟内に捨てられ、それでも生きている〉ことを知ります。

十字架上のキリストが磔刑に処せられ死に至った瞬間にさまざまな奇蹟が起き、母と妹の癩病が治癒していく、という「神秘に満ちたラストシーン」へと辿り着いたとき、筆者は、子どもの頃から自分の脳裏に深く植えつけられていた「癩」という病気への“いわれなき恐怖と偏見”が払拭されていくのを感じたことを覚えています。

この作品に出合った筆者はハンセン病に関心を持ち、1960年代前半の大学時代に、ボランティア活動の一環として東京・東村山にあるハンセン病患者の療養施設、国立療養所多磨全生園」を訪ねたことがあります。その後さらに「昔は無残で危険な不治の病とされたこの疾病が、今はどうなのか」と、ハンセン病の医療史に関心を持ち、ハンセン病は私の学生時代の問題意識の一つとなっていきました。

ハンセン病の実態と現象を正しく表現した『砂の器』

もう一本、ハンセン病を考える上で示唆に富む映画を上げましょう。それは『砂の器』(1974年)です。ハンセン病の父を持った過去を必死に隠しながら、音楽界での成功を目指す子息の葛藤と殺人と捜査を描いた作品。親子のハンセン病の浮浪者が日本中をあちこち遍路する姿が、日本の四季の美しい変化を背景に描かれ、ハンセン病と正面から向き合ったという意味で〈象徴的な名画〉となりました。父親役の加藤嘉の演技は圧巻でしたし、脚本に橋本忍・山田洋次音楽監督として芥川也寸志らが参画しています。

この映画は、松本清張原作の中でも飛び抜けた作品であるのはもちろんのこと、戦後の日本映画界が誇る名画の一つと言えるでしょう。この映画には、学生時代に日本のハンセン病への「国策」の不正義を知ってしまった筆者のような者にも、ハンセン病の実態と現象を最も正しく表現している映画――それだけに、たまらなく悲しい映画――と評価すべき〈真実〉があります。

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