誰もひとりでは生きられない。(日本/埼玉)

埼玉県にある児童養護施設「光の子どもの家」を舞台に、『隣る人(となるひと)』というドキュメンタリー映画を製作した。寝食を共にして暮らす人たち(子どもたちと職員)が、暮らしの営みを通して、「かけがえのない」関係となっていくありようを丁寧に描いた作品だ。本作を完成させ、公開するまでに八年を要したが、子どもたちや職員の方々から信頼を得るには必要な時間だった。また、時間をかけないと見えないものやわからないことがあるからだ。撮影することが目的ではあったが、「光の子どもの家」の暮らしの仲間にいれてもらいながら、その中で私が体験し感じたことを頼りに、なにを考え、八十五分の『隣る人』という映画を作り上げていったのか、「子どもが育つということ」において、なにが大切で大事なこととして考えるようになったのか、出来る限り率直に書いてみたいと思う。

映画『隣る人』で繰り返し描いたシーンがある。それは、朝起きてから寝るまでの暮らしの中の何気ない日常の風景の連続だ。その「何気ない日常」の中にこそ、子どもたちにとって極上の宝物といえるようなものがいっぱい詰まっているのだ。

たとえば、登校前の冬の寒い朝のこと。担当の保育士さんたちが、「ちょっと待って」と子どもたちの顔や手にササッと霜焼け止めのクリームを塗ってあげる。「鼻水でてるよ」とサッと拭いてあげる。「歯磨きちゃんとした? 汚いよ。ダメだよ?」、「マスクしていく? 寒いからさ?」と声をかけてあげる。どれも、どこにでもあるような朝の一コマである。子どもたちにとってみれば、「自分のことをちゃんとみていてくれている」ということを確認できる、確かな「手ざわり」のある貴重な瞬間なのだ。そんな毎日の人間的な温もりを持った関わりが、子どもたちを生かしている。

もうひとつ。夜、小学生の子どもが、担当の保育士さんがいつも使っている布団にもぐり込み、「世界で一番いい匂い」と言う大好きなシーンがある。いつも一緒に寝てくれる人の匂いだからこそ、世界で一番なのだ。だからこそ、その匂いになんともいえない安心感を覚えるのだろう。子どもたちは、そのような日常の細部にある人の温もりに包まれることによって、日々、生きてゆけるのだ。

なんらかの事情で親元では暮らせないという境遇を背負って「光の子どもの家」へやってくる子どもたち。本来、安心して安全な環境の中で育つべきなのに、その基盤を失って子どもたちは児童養護施設にやってくる。「わたしだけを見て!」、「わたしだけを愛して!」…子どもたちの切実な叫び。それに対して必要なことは、そばにいる特定の誰かが「なにがあったって私はここにいるよ」という信号を発信し続けること。子どもたちは、その信号が途切れないことを確認し、そして、途切れないことが確信できたときに、やすらぎと安心感を得ることができるのだと思う。だけど、それは一足飛びにはいかない。暮らしの中で、時間をともなった日常的な子どもたちへの安定した関わりを通して、一方的に「断ち切られることはない」関係が継続することを子どもたちが確信し、それが「揺るがない」ものとして内在化できたときに、「かけがえのない」人の存在を実感するに違いない。そして、その関係性には期限はない。期限があってはならない、と思う。

八年間の「光の子どもの家」での撮影期間のなかで(いまも関わり続けているので、現在進行形ではあるが)、十名以上の子どもたちが卒園していった。正月には「光の子どもの家」に帰省してくる子どもたち(卒園生)も少なくない。結婚し、子どもを連れて、家族ぐるみで帰ってくる子ども(卒園生)もいる。しかし、「よかった」と喜べることばかりではないのも現実だ。多額の借金を抱え、困り果てた末に帰ってくる子ども(卒園生)、あるいは、赤ちゃんを身ごもり、切羽詰った状態で助けを求めて帰ってくる子ども(卒園生)もいる。子どもの育ちへの関わりに終わりはないのだ。子どもにとって親がいつまでも親であるように。また、親にとって子どもがいつまでも子どもであるように。

子ども(卒園生)たちは、「光の子どもの家」という児童養護施設に帰ってくるわけではない。自分を形作った幼かった子ども時代に、一緒にいれくれた人たちのもとに帰ってくるのだ。自分だけではどうしようもない困難な状況に陥ってしまったとき、その人たちの顔が思い浮かんだに違いない。

「子育て」、それはなんと大変な営みなんだろう。そのことを「光の子どもの家」の八年間で深く知ることになった。「うまくいく」という表現が正しいとは思わないが、うまくいったり、いかなかったり、一喜一憂の繰り返しである。「これでなんとかなる。うまくいっている」と思っていたものが転じて、最悪ともいえるようなことが起こる。一方で、「なんでこんなことが」と最悪の事態だったものが転じて、考えもしなかったような良きことが起こってくる。なにが正しくて間違いなのかわからなくなる。

「正解」という答えもなく、終わりなき子どもの育ちへの伴走。ひとり立って、自分の人生を歩んでいけるようにと「祈り」、それを「信じ」、いつ訪れるともわからない子どもの成長を、変化を「待ち」続けるしかない。悩み、考え続け、手探りに試行錯誤をやり続けるしかない。

子どもの育ちにおいて、もし成功ということがあるとするならば、子どもたちが自分の境遇も含めて、「これでいいんだ」と受けとめることができるようになること、そして、なによりも自己肯定と自分への信頼を持てるようになるということではないだろうか。そうなるためのノウハウもマニュアルもない。それぞれの子どもたちへのそれぞれの関わりを継続していくだけなのだ。

人は、誰しもひとりでは生きてはゆけない。人間関係の網の目のなかで生きてゆく。その基盤となる「断ち切られることのない」、「かけがえのない」関係を期限なしに保障することは、子どもたちが何歳になっても必要なことなのだ。

「隣る人」工房 / 刀川和也

季刊「児童養護」2013・Vol.44・No.2 寄稿

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